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2004年、わたしがボディセラピストを目指すことになるそのきっかけ、その後ハワイ島へマッサージ学校留学、
ボディセラピストとして独立するまでのストーリーをご紹介します。

ボディセラピストを目指した理由〜Self History〜


旅と持病

思えば小学生の頃から肩が凝っていました。 小学校5年生くらいの頃に検査で脊椎側弯症といわれ、 「背骨が曲がってることがよくない影響に繋がっているはず」 という確信のようなものが当時からありました。

からだが弱いというほどではないのだけど、どうもあまり調子がよくないことが多く、見た目ほど健康ではなかったです。 偏食でものすごい便秘の上に貧血で、 下半身の冷えも若い頃からありました。

私は旅好きのバックパッカーで、 会社員時代にたまたま行ったタイでタイ古式マッサージを受けて、 「これはスゴイ!」とその効果を実感したのが この世界に入ろうかなと思った最初のきっかけかもしれません。 大学卒業後、最初に働いたのは小売業界でした。 店長という仕事はとてもやりがいがあり、男女差別なく いい経験をさせてくれる会社でしたが、同時に激務でもあり、 ストレスからか体調を悪くしてしまい、5年ほどで退職しました。

その後、IT系のマーケティング会社でWebディレクター職に就きました。この仕事もとても刺激的で楽しかったのですが、この頃から朝起きられない、ようやく起きて職場に着くと既にぐったりしているような状況に陥りはじめ、検査の結果、病院では国の難病指定を受けている ”ベーチェット病の疑い”との診断を受けました。 どんどん元気がなくなり、代謝が悪くなり、太っていき、うつっぽくなり、いわゆる自律神経失調症的な症状が顕著になってきたため、結局は会社を退職してしまいました。

退職後、まずは健康を取り戻すため、暖かいところで療養を兼ねて、 また以前から興味があったタイマッサージをタイ北部、 チェンマイにあるITMというスクールで習うことにしたのです。

人生の転機

タイマッサージの研修は終えましたが、その後すぐにセラピストの道に入ったわけではなく、1年近くにわたってフラフラと続けた旅の終盤、 たまたま訪れた東京都・小笠原諸島で大きな変化が起こりました。 東京から1000km離れた25時間半かかる船でしか行けない世界で一番遠い島。そこで野生のイルカと泳ぐことにこんなにもはまってしまうとは。 イルカと泳いだそのことだけでなく、海の信じられない蒼さや鳥たち、無人島をはじめとする自然のすごさと真っ向から対峙した時間、島に集まる個性的な人たち ーー人生を心の底から楽しんでいる人たちーーとの出会いが私を大きく揺さぶりました。

「私の仲間がここにいる」そう感じたのです。 驚いたことに、小笠原で過ごした約10日間で持病の症状のひとつである足のしこりはきれいさっぱり消えていました。

「とにかく自分が楽しいと思ったことだけをやろう」

旅から帰ってくるとそんな風に考えがとてもシンプルになりました。 けれどもそのことが、それまで思ってもみなかった当時一緒に暮らしていた夫と別れるという決断を下すことになってしまったのです。 私の人生はもっと違うキラキラしたもののはずで、現状の家族関係ではうまくいかない、彼と私はそもそも生き方が違うのだ、という結論。 彼は旅を中心とした私のわがままな生活スタイルに理解のある人でしたし、とても恵まれた生活でした。夫のことも大好きでした。 けれど、このままの生活では自分の人生が嘘になってしまう。このまま自分にウソを一生つき続けて生きるのか?もしかしたら、私の病気は、実はこの結婚生活がもたらしたものではなかったのか?自分の人生を生きていないから、人は病気になってしまうんじゃないか?・・・。

ものすごい葛藤がありました。こんなにいい人を、どうして私は不満に思うのか?と自分を責めもしました。ずいぶん長くその気持ちは私を苦しめたようにも思います。 でも、一度真実に気づいてしまったら、人はもう元には戻れないんだ・・・。イルカのように自由に、自分の人生を精一杯生きたい。 最後の瞬間まで悔いなく生ききりたい、という強い気持ちが私にはありました。 ”まあまあの幸せ、そこそこの満足”ではなくて、何かひとつの目標に向かって歩いていく感じ、”それなりに楽しい” ではなくて ”めちゃくちゃ楽しい” 感覚。 それを実現させるには、当時の私には一度生活のすべてをリセットするしか方法が思いつかなかったのです。

つらい選択でした。でも、そうするしかもう道はなかった。人生において三叉路というのがあったなら、幾度目かの三叉路に私はさしかかっていました。

イルカがハワイ島へとつなげてくれた

その後ほどなくして東京へ出て一人暮らしになりました。そして私を変えたイルカと小笠原にもっと近づきたい!!もっとイルカと一緒に泳ぎたい!という思い一心で、ドルフィンスイムやスキンダイビングの練習を始めました。都内の練習会に行ったり、沖縄や御蔵島に頻繁に行くようになりました。

そしてその頃から、からだと心のバランスが、体調や病気にものすごく関係していると実感し、もっとからだのことを知りたいと思うようになりました。 西洋医学以外の考え方にも興味が出てきました。そもそもベーチェット病は西洋医学的には原因が不明なので対処療法しかないのです。 でも、なんとなく私のケースは、「背骨が曲がってるからじゃないか」 「冷えてるから」「滞りがあるせい」「心の奥底にある無意識下のストレス』というような気がしてなりませんでした。

でもそれはただの感覚であって、そもそも私はまだ何も身体のことを知らない 。まずは身体がどうなっているのか、理論的な解剖生理学をしっかり勉強した上で、その感覚が正しいのかどうかを知りたいと思ったのです。 ちなみに、何故ベーチェット病が悪化すると、神経や腸や目にまで 影響を与えるかは未だにわかっていませんが、おそらく「自己免疫疾患ではないか」というのが一般に言われていることのようです。 自分で免疫系を壊してしまうのが、自己免疫疾患です。正しいはずの免疫細胞を自分で殺してしまう・・・。何かの信号を読み間違えたかのように。

家を出てから後、体調は見違えるようによくなっていきました。バイト先は立ち仕事で体力的にはハードでしたが、もう投薬治療もせずに済み、元気でした。 むろん常にどこかでピリリとした緊張はありました。どこかでぷつんと糸が切れると孤独の淵で絶望のどん底に落ちてしまうかもしれない・・・ という思いは、けれども少しずつ、時間とともに薄れていき、そして今後自分がどうして生きていきたいのか?という方向に意識が向けられていきました。

ハワイ島にも野生のイルカがいるらしいことを知ったのはそんな頃でした。そして、ハワイ島の情報をネットで探しているうちに、その後留学した学校HISMのことを知ることになったのです。

ハワイ島留学生活

HISMは医学知識に基づいた治療的なマッサージを教えている学校で、 私の希望にぴったりでした。それになんといっても休みの日にイルカと泳げるなんて、そんなところは世界中探してもおそらくここだけでしょう。 もうこれは行くしかない!と決めました。そして、数々の金銭的精神的物理的試練を乗り越えてとにかくなんとか留学にこぎつけました。

学校の授業は、朝9時に始まって夜9時まであることもあるし、宿題、テストは想像以上の難しさ。解剖学や筋肉の授業は、大学でも教えているという先生が早口の英語でがんがん進めていくし、マッサージ理論の授業は整形外科の病理学のようで、筋肉のことがわかってないと理解不可能。 英語と授業の内容そのものの難しさのダブルパンチで相当ストレスが溜まりました。本当に時々泣きながら宿題やってたりして。

しかもハワイなのに住んでたところの標高が高いため(約350m)冬は寒くて眠れなかったり、車が坂道で爆発!したり、人間関係がぎくしゃくしたり、まあいろいろありました。当時セラピスト修行日記というブログを書いていたけど、まさに修行という感じ。イルカと毎日泳ぐ夢も精神的に海に行く余裕すらなく、結局は年に数回泳いだ程度。でも、岸から泳いでイルカに会えるラッキーはここにしかないもの。存分に楽しみましたが。

そうして2004年夏に始まった留学生活は、途中ビザトラブルによる帰国期間をはさみつつも、2005年12月、ハワイ州認定マッサージセラピスト試験の合格、学校の卒業というところまでなんとか到達して終えることになりました。 今思えば、やっぱり留学していた約1年半、働きもせず勉強だけやればいいというのはすごく贅沢な時間だったなと思います。 でも、もう一回やれと言われたら、返事は・・・「イヤ!」です。(笑)

夢をあきらめない。そしてこれからも・・・

ハワイ島留学時から、卒業したらどうしよう?ということはずっと考えていました。「葉山で自分のサロンを立ち上げたい」そういう思いはその頃からどこかにありました。以前このあたりをよくバイクで走っていて、その環境の良さが印象に残っていたのです。 「いつか海のそばに住みたい」そんな夢もありました。ハワイ島滞在中も、家から海を眺めることができましたが、日本に帰ってからも同じような生活が絶対にしたいと思ったのです。

いつか外国に住みたい。 いつか海のそばで生活したい ・・・
いつかって、いつ??

もう30歳もとうに超えた今、それって今やらないともしかしたら一生来ないかも? 当時、葉山に「つて」も「あて」もなく、どうすればいいかその時点では全くわかりませんでしたが、でもとにかく、葉山のあたりに、自分のサロンを開くという夢をなんとか実現したいと強く願うようになりました。

その後、今の秋谷の一軒家を借りてサロンを開くようになるまでのストーリーは毎回「ヤバい。もう後がない。絶体絶命!!」 というときになって奇跡のようなことが幾度も起こり、現在に至っています。
夢をあきらめなければ、信じることをやめなければ、必ず道は開ける、とサロンオープンまでの数年間の道のりで私は実感してきました。

そして気がつけば、サロンをオープンさせてからもう8年が過ぎようとしています。ボディセラピストとしては、
まだまだひよっ子だと思っていたのに、気がつけばベテランの域・・・。

これからは、モアナブルーが提唱する「人生を変える」ボディセラピーを多くの人に施術を受けていただきたい、という想いと同様、ボディセラピストを目指す人への指導やアドバイス、サロン運営のノウハウを伝えるような、そんな役割も担っているのかな、と感じ、その分野でのお手伝いもしてきたいと考えています。

自分ひとりではできることが限られているけれど、少しずつ一歩ずつ、その先の未来を目指していく。
モアナブルーでの施術やWebプロデュースが、そんなあなたの人生にちょっとしたスパイスを与えられたら、
私はとても幸せです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2013年2月 海の見えるオフィスにて
モアナブルー 西村祐子

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    モアナブルー・サロンのご案内
    神奈川県湘南、JR逗子駅から海沿いの道をバスに揺られること25分、ボディセラピスト西村祐子
    1名で運営している一軒家のボディセラピーサロンです。あたりは都心から1時間台で来られる場所とは思えないほど、とてものんびりゆったりとした空気が流れています。
  • ボディセラピスト西村祐子・プロフィール

    ボディセラピスト西村祐子・プロフィール
    ボディセラピストと名乗って12年。単なるほぐし・癒しの「マッサージ」ではない、という
    思いも込めてこの名称を使っています。セラピストになるまでのストーリー、今まで習得した技術の他、Webプロデュース企画制作、旅企画やメディア発信など、セラピスト以外の活動もあわせてご紹介。
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