ドーパミンと線条体

ーー『脳が「生きがい」を感じるとき』グレゴリーバーンズより引用ーー

まずドーパミンについて説明しよう。ドーパミンは喜びをもたらす脳の化学物質とみなされてきたが、最近になってそれ以上の働きをしていることが明らかになった。ドーパミンは単純な構造の分子で、ニューロンの小さな集まりの中で合成される。ドーパミンを作る細胞の数はおよそ三万から四万で、脳のニューロン全体の百万分の一よりも少ない。しかしドーパミンがなければ、あなたが報酬として感じていることは何も感じられなくなる。

ドーパミン・ニューロンの集まりは脳内の二カ所で見つかっている。そのひとつは下垂体の上に集まっている。下垂体は脳の下部からぶら下がる小さなイチジクの形をした部位で、甲状腺や副腎などさまざまな内分泌腺を刺激するホルモンや、排卵を調整するホルモンを分泌している。
報酬と関連のあるドーパミン・ニューロンのもうひとつの集まりは脳幹の中にある。脳幹とは脳から脊髄に移行するゾーンにあたる長さ10cmほどの神経組織で、とても狭い場所だが、非常に多くの情報が流れている。脳幹の中には特殊な働きをするニューロンの小さな集まりがいくつもあり、ドーパミンを作る細胞もそうした集まりのひとつだ。

しかしドーパミンのような神経伝達物質は、行き先がなければなにもしない。神経伝達物質とそれが働きかける受容体は、鍵と錠のように特別な関係にある。そして脳の中でドーパミン受容体が集中している場所が「線条体」だ。親指と人差し指でUを作って逆さにしたものが線条体のだいたいの形と大きさで、それが頭骨のほぼ中央でふたつひと組となって脳幹にまたがっている。

線条体は脳の中でターミナル駅の働きをしている。つまり脳全体から送られてくる神経の情報という列車を受け入れているのだが、一時にそのすべてを調整できるわけではない。情報の大半はさまざまな機能をもつ前頭葉から送られてくる。前頭葉は、行動を起こす上で脳のほかのどこよりも必要とされる部位である。その行動には、からだの動きから目の動き、話すこと、読むこと、そして思考に至るまで、手短かにいえば、あなたが実際にしていることすべてと、心に思い描ける行動のすべてが含まれる。このありとあらゆる情報が線条体という一点に集まってくるので、本物のターミナル駅のように、どの瞬間をとっても実際にそこを通過できるのは2、3の行動に限られる。そして何が通り抜るかはドーパミンと大きく関わっている。

ドーパミンは線条体を通過しようとするものを、一瞬、安定させ、言うなれば、どの列車が通過するかを決めているのだ。つまり、ドーパミンは、皮質の中でざわめきながら待機している数百もの選択肢からなんらかの活動を選び出し、それにあなたの運動システムを関わらせているといえる。

その何かをしようとするまでの過程を表現するもうひとつの言葉がある。それが「動機(モチベーション)」だ。あなたはある動機を得ると、一連の動きを決める。一方、何かをするときには、それをやり遂げたいという動機が生まれる。つまり動機と行為は、ひとつの過程を別々の切り口から見たものなのだ。ドーパミンはその過程をスタートさせる触媒として働いている。線条体の中に勢い良く流れ込んで来て、ある行動の列車を特定の線路の上に送り出しているのだ。

線条体では、あなたと外界のできごとの相互作用が起きている。線条体を流れる情報は多く、この相互作用は非常に密度の濃いものとなっている。だからこそ線条体は人が生き生きと暮らしていくためにとても重要なのだ。たとえば、あなたがとても慣れている行動をするときには新しい要素や予想外の何かに出会う可能性はほとんどなく、ドーパミンの量も満足度もおそらく低い。
しかし、これまでしたことのない行動をするとき、あなたは未知の領域に入り、線条体には新しい情報が流れ込み、ドーパミンがどんどん分泌され、あなたはその情報に応じて動くように仕向けられる。新しい情報に反応してドーパミンが出させることが、強烈な満足感の核心であり、それが動機のシステムをスタートさせる。しかし新しい出来事は、ドーパミンを分泌させて気分を高揚させるだけでなく、脳を実際に変化させている。

情報の断片は、脳に入ってきて記憶の箱に収まるだけでなく、脳を分子レベルで変化させているのだ。思えばとても不思議である。紙の上のインクやテレビから出てくる光子のように抽象的なものが、なぜあなたの脳のニューロンの間でタンパク質を移動させたりできるのだろう。あなたの脳は、情報をニューロンの発火という具体的な形に変え、頭の中のほかの情報のかけらと融合させる。そしてDNAレベルでは、ドーパミンやほかの神経伝達物質が新たなタンパク質の合成を引き起こす。

本の中では”これまでしたことのない行動をするとき、あなたは未知の領域に入り、線条体には新しい情報が流れ込み、ドーパミンがどんどん分泌され、あなたはその情報に応じて動くように仕向けられる。”と書かれている。
結局のところ、私がなにか新しいことをしたがるのは、ドーパミンをガンガン出させて満足感を得たいという、そういう本能的な欲求から来ているのかな?なんて思う。そして一度その味を覚えてしまうと、ちょっと中毒っぽくもあるけれど、もっともっと!という感覚が増えてきて、それこそが人生の質を高める全てだという風に考えていくのかなあとも思った。でも、新しいことを積極的に求める人と、そうでもない人との違いはどこにあるのだろう?今までの経験上それが快感として認識されてない人は、つまり、ドーパミンをガンガン排出させて精神的高揚感や満足感を得たことがあまりない人にとっては、それがどれほど重要かということがわからない、ということなのだろうか。

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満足感とは?

ーー『脳が「生きがい」を感じるとき』グレゴリーバーンズより引用ーー

プロローグ

脳の深いところには、行動と報酬を結びつける構造がある。私は十年にわたって研究した結果、おそらく満足感の鍵となっている部位がチャレンジと新しい体験によって成長することを知った。新しいことへの挑戦や初めてのことは、避けて通りたいもののように思われがちだが、じつはそれらこそが満足感をもたらす要因となっているのだ。その証拠は満足感ともっとも関わりの深い場所、つまり脳に見つけられる。

まずはじめに、深い満足感は容易に得られるものではないことを認めなければならない。それはただチャンネルを選ぶだけで観られるテレビを1時間ほど観たあとと、しっかりエクササイズをして過ごしたあとの気分を比べてみればすぐにわかる。・・・

ここから第二の仮説が引きだされる。それは、満足感の本質は脳の中にあるというものだ。脳のどこからそのような感覚が生まれるのかがわかれば、もっと容易に満足感を得られることができるだろうし、その知識は満ち足りた人生を送る方法を指し示してくれるだろう。脳が満足感をつかさどっているというこの考え方をだれもが受け入れるとは思わないが、なんらかの挑戦を成功させたあとにわきあがってくる満ち足りた感じは、喜びや悲しみや怒りと同じく確かに存在するものだ。

けれども、満足感というものは、他の感覚と違ってたまたま感じるものではない。それは、自分自身で創り出さなければならないものであり、そこには動機が必要となってくる。

動機についてわかっていることの大半は神経伝達物質のドーパミンと関わっている。1990年代半ばまで、科学者の多くはドーパミンを脳内の快楽物質と見なしていた。確かにドーパミンは食べ物やセックスや薬物といった快楽に反応して分泌されるが、一方、騒音や電気ショックなど不快なものへの反応としても分泌される。実際、ドーパミンはこれらの刺激に先んじて分泌され、快楽物質というよりはむしろ予感物質として働いている。

ドーパミンの昨日についてもっとも手短に説明すれば、それはあなたの運動システムーーー肉体ーーーになんらかの行動をさせている、といえる。この見方が正しいとすれば、そもそも強い満足に伴って体中が熱くなるような感覚はドーパミンによるものとされているのだから、そのような満足感は目標を達成したときよりも、その目標に向かってせっせとドーパミンを出しているときのほうが多く感じられるはずだ。

ではどうすれば脳の中に流れるドーパミンの量を増やせるのだろう。その鍵は「新しさ」にある。脳の活動を画像化する実験が数多く行われ、ドーパミンを分泌させるには新しい体験がとても有効だということがわかった。なぜなら新しい体験は新しい行動を促すからだ。初めて鑑賞する絵画でも、新しい言葉を覚えることでも、楽しいこと、楽しくないこと、なんでもよいのだが、重要なのはそこに驚きがあるということだ。脳は、驚きによって刺激される。それはわたしたちが予想できない世界に生きているからで、好むと好まざるとにかかわらず、私たちはあるがままの世界を受け入れる脳を与えられている。あなたがいつも新しい体験を好むわけではないとしても、あなたの脳はそれを好む。脳はそれ自身の心をもっていると言ってもいい。

この「新しさの原則」は、脳幹の一番上にあるひとかたまりのニューロンの働きから推定したことだ。この原則が意味するところを考えれば考えるほど、それが私たちの生活をより豊かにするように思えて興味がそそられる。だがこの原則は実験室で真偽が確かめられる類いのものではない。

結局人生の舞台の広さを決めているのはあなたの行動である。あなたは何を、何故求めているのだろう。それを理解するには、脳と行動のつながりについて知っておいたほうがいい。あなたの真の欲求、すなわち脳の新しさへの欲求を理解すれば、あなたは人生が想像以上に不思議で驚きに満ちたものだと知るだろう。

ん〜脳から見た満足感の定義。フロイトによる「苦痛を避けて快楽を得る」という快楽原理からではなく、「新しいものを好む」というのはとても面白いと思った。この本ではそれらを著者本人がランニングハイになろうとしたり、SMクラブに行ったり!したりしながら検証していくとても面白い本だ。

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瞑想中の反応いろいろ

ーーーー『宇宙の根っこにつながる生き方』 天外伺朗より引用ーーーー
第4章 かんたん瞑想で身も心もすっきりする 

瞑想中の望ましい反応

1. 手足などの体の一部、あるいは体全体が軽くなった感じ、もしくは存在しないような感じになります。透明になったような、あるいはビリビリとしびれるような感じになります。

2. 心身がゆったりとくつろいだ感じ、体が温かく包まれている感じになります。気持ちがよく、至福感にあふれてきます。

3. 脈拍がゆったりとして楽になります。

4. 呼吸がゆったりと穏やかになります。最終的には、自然に呼吸筋が動かなくなります。


瞑想中にともなう正常な反応

1. 唾液が大量に出ます。

2. 悲しくもないのにわけもなく涙が出てきます。

3. 皮膚がむずむずしたり、かゆくなったりします。(かゆくなったらかけばいいし、我慢する必要はありません)また、お腹がゴロゴロいいます。

4. 心臓の鼓動がドキドキ強く感じられます。(鼓動が速くなるということではありません。速くなるのはよくない反応です)

5. せきが出ます。悪いところが痛くなります。(胃腸が悪い人はお腹が、膝が悪い人は膝が痛み出します)

6. 体の一部がピクッと動くことがあります。あるいはガクガクと震えがきます。極端な場合は体が勝手に動き出します。(これらはすべていいことです。ストレスの解消を体が自動的にやっているわけで、心配する必要はまったくありません。体が勝手に動きだすことを気功法では「自発動功」といいます。ストレスの解消がある程度進めば、体が動かなくなります。本当の瞑想はそこからはじまりますあ。)

7. 瞑想中の反応ではありませんが、瞑想をはじめるようになると、朝早く目覚めるようになります(瞑想をすることによって睡眠の何倍かの休息がとれ、自然に睡眠が足りて目が覚めるわけで、少しも心配はいりません)

8. 瞑想直後に軽いめまいを感じます。あるいは頭に軽い圧迫感が残ります。記憶がすこしおかしくなり、かんたんなことが思い出せません。(だいたい30分で復帰します)

うーむ。要するに自律神経系の活動がすごく活発になるということだよね。そしてこの反応はクレニオセイクラルをやったときに非常に似ている。とくに6は本当にかなりの人が起こす反応で、手足がピクっと動くことはいいことされているし、こないだはクレニオのセッション中本当に体がすごい勢いで動きだして、ストレッチしてるみたいな感じになったりだとかということもあった。

あと、7はいいなあ。私はまだ朝早くに起きられない。朝型の生活にしたいしたいと願いながらもなかなか睡魔に勝てない。でも今は瞑想を毎日やってるわけじゃないので、これを習慣にしていって、気がついたら自然に朝型になっていた、というふうになっているといいな〜

瞑想をストップしたほうがいい症状

1. 頭が締め付けられるような強い頭痛がきたり、悪寒や吐き気、もしくは腹部に強い圧迫感が来る

2. 脈拍がどんどん速くなってくる。正常な状態では脈拍はしだいに遅くなっていきます。

3. 息苦しくなったり、呼吸がどんどん速くなる

4. 原因不明の恐怖感を覚えることがある

5. 霊界に入る(幽霊が見えたり、息吹が聞こえたりします)


以上が好ましくない反応です。こういう反応がでたら、5以外の場合は、すぐに瞑想をやめ、横になってゆっくり休んでください。

そして次にやるときは、少し時間をおいてやったほうがいいでしょう。そのときも、事前の体操にもっと時間をかけたり、あるいはジョギングなどでもっと体を動かしておくことが必要です。また、深呼吸をもう少し長くし、体も徹底的にゆるめます。というのは、体のどこかにこわばりがあるときにこのような好ましくない反応が起こりがちだからです。要するに瞑想の前の準備にもう少し時間をかけることです。

フロイトの弟子のひとり、ライヒは、人間はいろいろなストレスを受けると、それが筋肉の緊張となって残り、精神的な障害の原因になると考えました。彼は、この筋肉の緊張を「性格の鎧」と呼んでいます。過去に受けたストレスが鎧のように筋肉の緊張となって残り、その人の性格を形成しているというわけです。

成人なら、誰でも多かれ少なかれ「性格の鎧」をもっており、体にさわってみると、その人がこれまで受けたストレスの程度がわかるといいます。ということは、体をほぐすこと、つまり鎧を破壊することがストレスの解消につながるということです。その方法がボディワークです。今世の中にあるボディワークのほとんどは、ライヒの理論から出発しています。

人生の歪みが、ライヒのいうように体のどこかにきている人は、瞑想をしても快い瞑想にはなりません。体の緊張をほぐす必要性はそこにあります。
現代人は運動不足で、バランスが悪くなっており、瞑想だけをやると、「好ましくない反応」が起きがちです。ですから、そういう反応が起こる人は、事前になるべく思い切り体を動かしましょう。ヨーガや気功法をきちんとやってみるとか、ボディワークをきちんと受けてみることをおすすめしたいと思います。

「性格の鎧」か。鎧とは非常に言い得ている気がする。本当に鎧みたいになっている人いっぱいいるもん。すごい筋膜が緊張して張っていて「奥には絶対入れさせない!」と主張しているカラダ。筋肉の奥のほうになんて絶対どれだけ力を入れても入らない。からだをさわるとある程度その人のストレスレベルがわかるというのもとても納得。体格だとかからだの状態を見たら、だいたいその人の性格とかもわかる。からだの特徴が、すなわち性格上の特徴。違っていることは今までの中ではひとりもいない。ちなみにこのライヒという人について調べてみたら、結構すごい人生を送っていて、そういう人がこの理論を打ち立てたのかと思うと非常に興味深かった。


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ちなみに、この天外さんという方は、実は非常に技術畑の方で、ソニーの取締役をつとめ、CDの開発者だったりAIBOを世に送り出したりした人らしい。そういう方がこういう宇宙の話、瞑想の話をされるっていうのがすごく面白いなと思った。最近読んだ本に『イーグルに訊け』という本があって、その作者だったので読んだのだけど、全部が全部”納得!”というわけではないけれど、なるほどな〜と思うところがあったのでメモしてみた。

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瞑想と脳内麻薬

ーーーー『宇宙の根っこにつながる生き方』 天外伺朗より引用ーーーー
第4章 かんたん瞑想で身も心もすっきりする 

脳内麻薬を出すのが瞑想の目的

瞑想法というと、日本では座禅が有名です。ほとんどの宗教は何らかのかたちでこれを取り入れていますし、気功法の静功や、武道の鍛錬のなかにもみられます。それぞれがさまざまな方法論を説いていますが、いずれもいかに心身をリラックスさせ、雑念をはらうかということを、瞑想状態に入るためのテクニックとしています。

瞑想が深くなると、人間の脳の中で「脳内麻薬」物質が分泌されることが知られています。分子構造はコカインやヘロインなどの麻薬に似ていますが、人間の体のなかで生成するものですから、麻薬のように神経がボロボロになってしまうような副作用もありません。瞑想をすると、大変気持ちがよくなったり、幻覚を見たりすることがあるのは、この物質のおかげです。

なぜ、この物質のおかげでそういうことが起こるのでしょうか。人間の脳の前頭葉に、エーテン(A10)神経と呼ばれる神経があります。人間の創造性や快楽を刺激する神経です。たとえば、「楽しい」とか「わくわくする」といった気分のときは、このエーテン神経が興奮しており、人間にやる気や創造性を発揮させます。そして、この神経を興奮させるのがβ-エンドルフィンなどの「脳内麻薬」なのです。

瞑想を行うと、この「脳内麻薬」が分泌され、ホンワカと気持ちよくなってきます。それがもっと高じると、「意識の拡大」という現象が起こることがあります。これは瞑想中に恍惚状態になったり、幻覚を見たりする現象です。

人によってはランナーズ・ハイで、あたかも自分で自分自身の姿を離れた位置から見ているような感じになることがあります。自分の斜め後ろ上方から自分を見ているような感じになる。これを「目撃の体験」といいます。これは、一流選手なら一度ぐらいは経験している現象であり、それほど珍しいことではありません。

極端な場合には、時間を超越してしまうこともあります。まだ走行中なのに、ゴールでテープを切る自分の姿が見えてしまうのです。そして、しばらくすると本当にその通りになる。ということは、自分の未来の姿が見えていたということになるわけで、これを「未来視の体験」といっています。
このような「目撃の体験」や「未来視の体験」をする現象を「意識の拡大」と呼んでいるわけです。


最後のこの「意識の拡大」はフローだとかゾーンという状態のことを言っているのだろう。ということは、フロー状態にあるときには、βエンドルフィンがいっぱい出てるってことなんだろう。きっとそういう研究なんかもたくさんあるんだろうな。私はそういう体験したことはないように思うけど、一生に1回くらいはこんな状態を体験してみたいかも。

ディスコもマラソンも一種の瞑想

一般に瞑想法というと、座禅のように静かに座ってやるイメージが強いのですが、じっとしているだけが瞑想ではありません。体を激しく動かしながら瞑想状態に入ることもあります。ランナーズハイもそうですし、あるいはディスコで踊り狂っているときに瞑想状態に入ることもあるでしょう。
また、念仏を長時間唱えたり、単調なメロディーを長時間歌ったり聴いたりしていても瞑想に入りやすいようです。楽器演奏でリズムにのっているとき、とくに管楽器を演奏しているときにも瞑想状態に入ることがまれにあります。これは、呼吸の長さと無関係ではないでしょう。吸う息の長さにくらべ、吐く息のほうが長いほど、人間の意識はリラックスします

このように、いろいろな条件の中で、人間は脳内麻薬を出し、瞑想状態に入ります。瞑想の方法論がいろいろあるのはそのためでしょう。ということは、基本的に脳内麻薬が出るのであれば、瞑想法はどんな方法論でもかまわないわけです。

普通、脳内麻薬は死ぬときとか、マラソンなどでものすごく苦しくなったとき以外は、それほど大量には分泌されません。それ以外で大量に分泌されるのは、瞑想や坐禅の修行が相当に進んだときです。瞑想して、脳内麻薬が少し分泌してくると、ファーといい気持ちになり、宇宙に包まれたような感じになります。修行が進んで、それが大量に出るようになると、「意識の拡大」が起こり、ときには幻覚のなかで、次に述べるような「魔境の体験」や「聖なる体験」をするようなことも起きてきます。

「聖なる経験」の警告

「魔境の体験」というのは瞑想中、幻覚を見ることです。単に人形が見えたり、不思議なものが見えるだけのこともありますが、ときには悪魔が出てきたり鬼が出てきたりして、非常に怖い目に遭うことがあります。
また、幻覚のなかで神様や仏様に会ったり、天使や精霊、あるいは昔の聖人に会って、会話を交わしたりすることもあります。仏教ではこれも「魔境の経験」の一つに数えていますが、私はこれを区別して「聖なる経験」と呼んでいます。というのは、これは瞑想をしている人にとってとくに注意が必要だからです。

神様に会ってありがたい言葉をちょうだいしたりすると、自分は「悟り」を開いたのだと錯覚し、有頂天になって舞い上がってしまうケースがよくあります。それが非常に危険なのです。多くのカルト集団の教祖が、実はこのケースに相当します。
ユングは、そういう状態のことを「魂の膨張(インフレーション)」と呼び、次のように忠告しています。

こういった体験を、自己と一体化するのを避けて、あたかも人間領域の外側にあるかのように扱うのが賢明でしょう。もし同一化すると、あなたは魂の膨張、一種のエクスタシー的高揚状態に陥り、まったく道を誤ってしまうでしょう。 膨張というのはまさしく小さなかたちの狂気、狂気の緩和されたかたちなのです。そして、もしあなたが完全な膨張状態まで燃え上がってしまうと精神分裂病になります。『ユングと東洋』

私はその危険性を心得ている事が重要なのだと思います。ですから、仏様が出てこようが鬼が出て来ようが、それを突き殺すまでもなく、映画を見ているような気持で、その場面を楽しめばいいのではないでしょうか。ただし、それは決して「悟り」を開いた状態ではないということをきちんと心得て、映画を見ることができてよかった、といいう程度にとどめておく。それが、瞑想をはじめるにあたって心得ておくべき最大の注意事項といえるでしょう。それさえ覚えておけば、あとは、それほど心配するような危険性は、瞑想にはありません。


瞑想の危険性について触れている文章には初めて出会ったので、なるほどな〜とちょっと思った。
私たちは、否が応でも瞑想だとかヨーガだとかと宗教、しかもカルト宗教とを結びつけがちだ。それはもう本当にオウム真理教の犯した大きな罪のひとつだと思うのだけれども、オウムとは関係なくても瞑想に対して持つ「漠然とした不安感」というのは、ひとつはこういう「なんか変になっちゃったらどうしよう」的なことなのかもしれないなと思った。「私は神を見たので悟りを開きました」みたいな感じになって、現実世界に帰ってこれないんじゃないか、という恐れ。けれども、「神様を見た」的なことが、もし自分の身に起こったとしても、それをちゃんと自分の外側のことだとして冷静に受け止めていけばいいのだな、と思うと、そういう漠然とした不安感みたいなものはなくなるような気がする。


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集合的無意識の仮説

ーーーー『宇宙の根っこにつながる生き方』 天外伺朗より引用ーーーー
第1章 魂に栄養をつける生き方

本当の自分は内側にしかいない
わくわくするような感動を現代人が忘れてしまったのは、いったいなぜでしょうか。自分自身の魂の内側から発しているメッセージに耳を傾けなくなってきたからだ、と私は思います。つまり、本当の自分自身につながろうという努力を放棄してしまっているからではないでしょうか。

もちろん、昇進するとか、お金が儲かるといったレベルの感動もないとはいえません。しかし、そういう感動は、魂の底からしびれるような、本当の意味での感動には決して結びついてはいかないだろうと思います。本当の感動というのは、もっと本来の自分自身とつながったところから湧き出てくるものであって、そういう感動にひたれるときこそ、人間は心の底から幸福を感じることができるのだと思います。

どんなにささいなことにも感動できるということこそが、人間として正常なのだと私は思います。そしてそういう正常な状態に戻ること、つまり本当の自分自身とつながることこそが人間にとって幸福であり、それを求めるプロセスこそが人生なのではないでしょうか。

同じように、「外に行くな。真理は(自分の)内部の人に宿っている」といったのは、スイスの心理学社で精神医学者のユングです。
ユングは、自分という存在を説明する言葉として、「エゴ(EGO)」という言葉と「セルフ(SELF)」という言葉を使い分けています。日本語では一般にエゴを「自我」セルフを「自己」と訳していますが、自分の「内部の人」というのは、この「自己」のことであり、それこそが本当の自分自身であるということでしょう。

このあと例としてメーテルリンクの『青い鳥』の話が書かれてある。幸福の青い鳥を求めてあちこち旅するチルチルとミチルは、最終的に自分の家の中にあったといういお話は、幸福は結局のところ自分の心の内側にあるということを言いたかったのだろうと。

私はこれに似た経験をラオスという国で体験したことがある。ラオスというのはタイの北部にある(GDP的にいうと)貧しい国で、タイに水力発電で得た電気を売って成り立っているような国家であるが、ラオス北部のルアンパバーンという街でぶらぶら歩いているとき、川で洗濯をしていた母親に対岸で遊んでいる子供が大声でなにかを叫んでいたのを見た。

たぶん「そろそろご飯だから帰っておいで」「いやもっと遊びたいよ〜」みたいな会話だっただろうと思うのだけれども、そのの光景をぼんやり見ながら、私は何故か「ああ、幸せっていうのは、お金があるとかそういう外側の条件じゃなくて、心の中の問題なんだな」って突然思ったのだ。こんな日本から遠く離れた果てみたいな場所で、少なくとも絶対にお金持ちには見えない親子が、私を含む異国の旅人よりもなんとなく幸せそうに見えた。それは、私自身の長く続いた旅もそろそろ終わりかなと思った瞬間でもあった気がする。

人間の意識はすべてつながっている

人間の心は二重構造になっており、日常私たちが自覚している「意識層」と、その奥底に潜んでいる、ふだんはまったく意識できない、それでいて人間にいろいろ無自覚的な行動を起こさせる「無意識層」があります。

最初にこの「無意識層」を発見し、注目したのは、心理学者のフロイトでした。フロイトの弟子であったユングは、たくさんの臨床経験をもとに、人間の「無意識」の奥底に、さらに深く分け入っていきました。ユングが導き出した結論は、あまりにも一般常識からかけ離れていたために、多くの人々にすぐに理解されるといつわけにはいきませんでした。ユングは次のように言っています。

人間の「無意識」は、個人に所属するのではなく、全人類に共通であり、つながっている。

これが、ユングの「集合的無意識の仮説」といわれるものです。
人と人とは意識の深いレベルでつながっています。集合的無意識には、親族の無意識とか民族の無維持期とか、いろいろな階層があるようですが、しかし究極的に「無意識」は、奥深いところで全人類的につながっているというわけです。

もしユングのいうとおりなら、本当の自分自身、真実の人間性をもった「自己」は、表面の自分を掘り下げていった奥底にあります。そこではみんながつながっていて、自分も他人も区別がありません。したがって仮に競争のなかで他人を蹴落とせば、深いところで自分自身を蹴落とすのと同じことになるのです。また、他人の心の痛みを自分の心の痛みとして感じられる人は、本当の自分自身とどこかでつながっている人なのでしょう。
「虫の知らせ」とか「胸騒ぎ」とか「テレパシー」あるいは「以心伝心」などという現象は、人間の心と心がどこかで網の目のようにつながっていなければ、ありえないことではないでしょうか。

無意識からのメッセージに耳を傾けよ

ユングの仮説で極めて興味深いのは、「無意識」は未来を知っているとした点です。この仮説の根拠になったのは夢、すなわち「予知夢」でした。

予知夢そのものはそれほど珍しい現象ではありません。夢が「無意識」からのメッセージであるということは、フロイト以来の精神分析学の常識です。だとすれば、予知夢という現象は「無意識」が夢を通して未来のことを知らせているということになるでしょう。それは、「無意識」は未来を知っている。つまり、時間を超越した全知全能の存在である、ということになるわけです。

ユングはまた、夢は私たちの行くべき道を教えてくれる、と説いています。

人間の魂は、「無意識」と対話することにより、しだいに進化し、聖なる方向へ変容する。

「無意識」と対話するには、いろいろな方法があります。夢を分析し、解釈することも、その一つといえるでしょう。しかし、もっとも直接的で強力な方法は、何といっても瞑想法です。

魂が進化していくと、人間の表面的な「意識」と、その奥の「無意識」とが、最後は完全に一体化していきます。これが仏教でいう「悟り」の境地でしょう。

集合的無意識の話は、今まで読んだいろんな本に出てきていて一度じっくり勉強してみたいなあと思っていた。大学のゼミの教授はとにかく「引用されたら原典を当たれ」を口酸っぱく言っていたので、最終的にはユングの本を読むべきなんだろうけど、最初はわかりやすい解説書からなじんでいかないと、専門用語が多いとさっぱりわからないんだよね〜。

それにしてもまた瞑想・・・。最近読む本のあちこちに瞑想は素晴らしい的な話が載っている。
最近私も少しずつやりはじめたけど、でもほんとうに、やっぱりいいかも、瞑想。ただ座るだけの瞑想だけじゃなくて、いろいろな形で瞑想をすることができる。それはすなわちきっと無意識ーー自分自身の魂ーーとの会話なんだろうな。


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幸福感を得るためにーー気分操作の方法3ーー

ーーーー『感情』ディラン・エヴァンズより引用ーーーー
第3章 幸福への近道より

気分操作の身体的技法

瞑想は、私たちが自らの情動状態を調整するために発明した、最も安全な方法の一つかもしれない。瞑想の東洋的な形式は、精神を空っぽにし、規則正しく呼吸しながら長い間ただ座っていることを必要とするのであるが、それは、西洋でより最近になってから発達したリラクゼーションの方法と多くの点で似通っている。ここでもやはり、今日、新しいといわれるセラピーが、実のところ、何千年も前に最初に発明されたやり方を、ただ科学的に見せかけたものにすぎないということがわかる。

瞑想やリラクゼーションにおいて、情動状態を落ち着かせる効果は、カラダからのフィードバックによって成し遂げられる。リズミカルな呼吸や筋肉のリラックスした状態を、脳は穏やかな気持ちの生成に資するものと解釈するのである。他の気分も、異なる種類の身体の動きや姿勢によって引き起こされ得る。足早のジョギングは、幸福感にあふれた精神状態を誘発するし、また、ある情動に対応した顔の表情をすることは、その情動自体を感じさせることになる。情動を引き起こすこれらすべての方法を、情動の身体的技法と考えることができよう。

ウィリアム・ジェームズが1882年に指摘したように、こうした情動の身体的技法が存在するということあは、情動についての私たちの常識的考えの一つに疑問を投げかける。常識的な見方によれば、情動は身体的な動きに先立って現れ、その動きを引き起こすものということになる。例えば、熊を見て逃げるという例をとってみて考えてみたとき、ほとんどの人は、おそらく、熊が見えたことで恐れを感じ、そしてその恐れを感じたことで、今度は走ったのだと言うだろう。しかし、落ち着いた気持ちを得るために瞑想を用いたり、より幸福な気持ちを感じるためにジョギングをしたりするというとき、事はあべこべになる。この場合、情動を引き起こすのは身体の動きであり、身体の動きを引き起こすのが情動ではないのである。

心が身体に働きかけるのと同じように、身体が心のに働きかけるフィードバックのメカニズムが存在するのである。あらゆるフィードバック・ループにおけるのと同じように、それは増幅作用を生み出す。ジェームズは心の「共鳴板」としての身体について述べている。それは、ギターの共鳴箱が元の響きを増幅させるように、情動のシグナルを反響させるのである。これこそが、「自らの身体を奮い立たせる」ことで明確な情動状態を創り出すという私たちの能力を説明するものなのである。

逆に、情動の身体的技法が明らかにしているように、このフィードバックの仕組みによって、私たちは、通常ならば自動的に生じる身体的変化を故意に抑制したり、意識的に他のことをしたりすることで、自らの情動を何らかの形でコントロールすることができるようになるのである。

もちろんそこには限界がある。単に無理矢理笑顔を作ることだけでは、おり大きな幸福感が得られるわけではない。これは情動的な表情に関わる多くの筋肉が、随意的コントロールの及ばないものだからである。例えば、あなたが自発的に笑うとき、眼輪筋(目を取り囲む筋肉)は両側に収縮し、頬をつり上げ、肌を鼻に向けて内側に引き寄せる。この筋肉は随意的コントロールを容易には寄せ付けないものであり、だからこそ、通常、偽りの笑顔と本物の笑顔を区別することはきわめて容易なのである。単に両口角を引き上げ、唇をカーブさせるだけでは、完璧な喜びの表情は生まれない。つまり、そうした表情をつくっても、あまり喜びが誘発さえることはないということである。

しかし、随意的なコントロールができる筋肉とそうでない筋肉の差異はさほど堅固なものではない。ヨガやバイオフィードバックのような技法を使うことで、人は、通常ならば不随意的なものである自律神経系の働きに意欲的に制御を加え得るようトレーニングすることができる

たくさんの気分操作のための身体的技法は単に気分に対して短期的な効果をもたらすだけではない。それらはまた長期的に私たちの人生の見通しをも明るくしてくれる。少しの間走ることは、単にちょっとした興奮をもたらすものでしかないが、毎日そうすることで健康が全般的に促進されるだろう。ちなみに、そうした健康状態こそが、生活に対する全般的充足感を最も説明する変数の一つなのである。一般的にスポーツはさまざまな気分の身体的技法をもたらし得るものと考えられている。短期的な幸福感を高める代わりに長期的な幸福感をすり減らす薬物とは異なり、情動の身体的技法は短期的にも長期的にも私たちに益をもたらしてくれるのである。

幸福感への近道を選ぶ際、私たちは気分操作のさまざまな技法の中からたった一つだけを選び出すという厳しい選択を強いられるわけでは必ずしもない。私たちは、選び、また混合する。すなわち、自分の好みと価値観に応じて、複数のものを結び合わせるのである。

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幸福感を得るためにーー気分操作の方法2ーー

ーーーー『感情』ディラン・エヴァンズより引用ーーーー
第3章 幸福への近道より

色の使用と音楽

色が私たちの情動に直接影響を与えることはめったにない。自閉症などの心的障害においては、まだらな色を見るだけでパニックが引き起こされることもあり得るが、多くの健常な人においては、色は気分に影響を与えることを通して間接的に情動に影響を及ぼすのである。

さまざまな色が、心地よいイメージを生み出すよう配置され得るように、多様な周波数を有する音もまた魅力的なメロディーを生み出し得るようアレンジされる。視覚的な絵画と同様に、音楽もまた、ただ純粋に愉悦をもたらすために、私たちの近く能力に直接訴えかけるよう設計された技法である。

皮膚接触の情動的な効果

他の人に優しくなでられることで脳内に天然アヘンが放出され、それがくつろいだ気分に結びつく。このことの進化論的な根拠は、人とチンパンジーの最後の共通祖先にとってグルーミング(毛づくろい)が重要であったことは、現代のチンパンジーが一日に何時間もかけて互いの毛からダニを取り除いている様を思えば、充分に考え得ることである。
私たちの進化した触覚的好みがマッサージの基礎となっている。マッサージは音楽や美術と同じく、歴史の古い技法である。

わぉ!天然アヘンですか。でも基本的に、肌と肌が触れあうことが気持ちいいものでなければ、人間は繁殖しなかったわけだから、当然といえば当然?けれども、この皮膚感覚がいろいろな要素(たとえば凝りがあるとか冷えているとか)で感じなくなってしまうこともあって、そういう人はきっと感情的にもいろいろなものを溜め込みすぎて、情動が出にくい状態になているということも考えられるよね。

味覚操作と薬物

味覚にかかわる気分操作の技法はもちろん料理である。料理は、自然の風味を増幅させ、「超刺激」の域まで高め、私たちの味覚芽を、自然がそうしえきた以上により魅惑的にくすぐるのである。
しかし、ここで自然選択は、それがもともと準備した紆余曲折の道筋には従わず、あえて幸福感への近道を進もうとする私たちに対して、ある仕返しをする。それは、私たちにブドウ糖を見つけるための安上がりで単純な仕組み、すなわち甘いものへの好みを与えたことで、私たちが自らの健康にふさわしい量以上にそれを欲してしまう危険な状態をつくりだしたのである。

今日では糖分は、スイーツと呼ばれる濃縮したかたまりで口に入り、わたしたちのそれに対する強烈な欲望は健康に深刻な問題を引き起こしている。肥満は現在、多くの豊かな国において流行病なみに増えてきているが、これは多量の糖分や脂肪を欲する進化的に準備された欲求と、料理という名の新しい技法が久美合わさったために生じてきたものなのである。

味覚に関わる気分操作の技法は、私たちの味覚芽を刺激したり、あるいは、その後の消化プロセスに他の科学的効果を及ぼしたりすることを通して、良い気分を誘発しようとする。

チョコレートは、糖分を含むほとんどの食物や飲料がまさにそうであるように、きわめて効率的な気分増幅器なのである。しかし、研究結果が示すところでは、たいがいの人は、チョコレートを食べた直後、よりポジティブでエネルギーに溢れているような気分になるのだが、この効果はすぐに弱まり、一時間後には、最初にチョコレートを食す前の段階よりも、ずっと悪い気分になってしまいがちなのである。お茶やコーヒーにも同じことが言え、それらもたしかに、ほんの短時間、気分を良い方向に増幅させるが、その後はそれよりも少し長い時間にわたって、気分を悪い方向に引き下げてしまうのである。ほとんどの薬物もまたしかりである。

それでころか食物と薬物との線引きはかなり恣意的なものであり、今日でさえ、薬物を、私たちが消費する他のさまざまな種類の物質から区別する充分な科学的基礎はいまだに存在していないのである。私たちは、栄養や味覚上の効果を期待してではなく、主に向精神作用を期待してあるものを摂取するとき、それを薬物という傾向がある。しかし実際のところ、ほとんどの種類の食物や飲料は心の状態になにがしかの影響を及ぼすものなのである。例えばカッテージチーズやチキンレバーには、脳がセロトニンと呼ばれる化学物質を作る際に必要となる高レベルのトリプトファンが含まれているが、この物質はいったん摂取されると人に良い気分をもたらすのである。
薬物は、食物とは完全に独立したカテゴリーとみなすよりも、むしろ、食物の延長線上の極に位置するとみなしてしかるべきものである。

よく考えたらものすごいことを書いてあるような・・・。チョコレートも薬物も効果は同じようなもんだ、ということだよね?でも確かにこの甘いものへの嗜好っていうのは中毒に近いものがあるような気がする。実際私も砂糖はなかなかやめられない。カフェインは特になくても大丈夫だけれど、砂糖なしで1週間、、となると、最初はキツそうだし、そもそもそんなのやりたくない!っていう感情的な拒否反応がありそうだ。でも不思議なことに、最近運動を定期的に始めたら、前ほど甘いものへの執着が減ってきたようにも思う。そっちで脳内麻薬が出てるから甘いものへの依存が減って来ているってことなのかなあ??

薬物という化学的経路

薬物は、幸福感へとつながる、おそらく最も直接的な近道である。重篤な抑うつに悩む人においては、そうした化学的経路こそが、まさに唯一のものとも言えるかもしれない。

気分を変える薬が、抑うつ患者にプロザックが処方されるときのように治療目的で用いられるにせよ、パーティ好きの者がエクスタシーを飲むときのように、気晴らし目的で用いられるにせよ、そこで生じる化学的作用は同様のものである。プロザックもエクスタシーもセロトニンのレベルを引き上げる働きをしている。こうしたことから、ある人たちは、セロトニンが気分の化学的基礎をなしていると考えるに至っている。このような理論に従うならば、脳内のセロトニンが高レベルにあると私たちは良い気分になり、一方そのレベルが下がると落ち込むことになる。しかし、こうした単純な仮説は、すべての証左と符合するものではない。
実のところ、気分の化学的起訴の詳細がいかなるものであるのか、また、抗うつ剤がどのような仕組みで作用するのかといったことについては、あまりよくわかってはいないのである。

ドーパミンノルアドレナリンといった、セロトニン以外の脳内化学物質も、気分の変化においては重要な役割を果たしている。それゆえに、こうした化学物質に作用する薬物も、情動状態を変化さえるのに用いられ得る。コカインやアンフェタミンは、脳内のドーパミンやノルアドレナリンのレベルを引き上げるわけであるが、そのため、これらの薬物には人を多幸的にする作用があると考えられる
しかしクロロプロマジンのような他の薬物も同じような作用があるものの、それらには同じような瞬間的な多幸作用はないのである。

ほとんどの気晴らしを目的とした薬の効果は、短期的なものであり、ハイな状態は比較的すぐに終わり、その後、はっきりと不快な落ち込み状態が続くことになる。最初の効果が薄らぐ前に、また薬を服用することでハイな状態を維持することが可能であるが、そうしてハイな状態を長く維持すればするほど、やがて襲ってくる落ち込み状態は最悪のものとなる。落ち込み状態が来るのを無限に先に引き延ばそうとして、ハイな状態を長く続けるために薬を飲み続け、ついには中毒症状に陥る者が出てくる。そうしたケースにおいては、薬の習慣を維持することだけが、生活の中における唯一、価値ある活動になってしまい、他の全てのことが無意味化してしまう。

わたしは、マジックマッシュルームとか葉っぱ系のものは一度も試してみたことはない。そういうものが蔓延して手に入りやすい国には何度も行ってるけど(笑)カフェインにすら劇的な効果をもたらす私なので、(全然眠れなくなる!)そういうキツい薬物は、摂ったら空恐ろしいことになりそうな気がして怖くてやれない。(いや、それはもちろん正しい選択だ!)

あと、その終わったあとの気分の落ち込みなんて絶対体験したくないというのがひとつあるのと、もうひとつ、何人かわたしのまわりで抗うつ剤のような薬物を処方されたことのある人がいて、その人が昔「ものすごく悲しかったりつらかったりするはずなのに、薬の効果で何故か本当に気分がよかったり、幸せな気持ちになるんだ。じゃあそんな化学物質で物理的に変化してしまう人間の感情って一体なんなのだろう?」というようなことを言っていて、その深い問いかけの答えを私は未だに見つけられずにいる。だからこそこういう本に興味が出てくるのかもしれない。

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