第3チャクラがもたらす成功と繁栄

ーー『魂からの癒しチャクラ・ヒーリング』ブレンダ・デーヴィスーより引用

私たちの意志力は、ソーラープレクサス(太陽神経叢)で生まれます。意志力とは、そうあってほしいと願うことによあってそれを実現させる能力のことです。純粋な気持ちと、自分自身も含めてすべての人のためになることをするという意図さえあれば、ほとんどのことは実現させることができます。パワーと意志力が組み合わされることによって生まれる驚くべき力は、想像もつかなかったことを可能にするのです。

ーー

ソーラー・プレクサス・チャクラ(第3チャクラ)が開くと自尊心が発達し、それと同時に、他の人をあるがままに認めることができるようになります。私たちが持つ様々な違いを天からの贈り物として受け取り、私たちをより豊かにしてくれるチャレンジと捉えられるようになるのです。違いに適応し、順応して自分の意見や信条を変化させることを覚えます。少々意志を曲げ、必要なら妥協する用意があれば、頑強な樫としなやかな柳を組み合わせることも可能になり、前進と発展は容易なものになります。

他人と相和し協調するのがうまくなるにつれ、新しいもの、自分と違うものを探求する喜びが生まれます。自分の個性に誇りを持てるようになりますが、それはあくまでも、バランスの取れた全体の中でのことです。

これまでは周りからの隔離、孤立を感じることもあったかもしれませんが、今では自分が完結した存在であると同時に、もっと大きな全体の一部である、ということが理解できるのです。経験から生まれた知恵は謙虚さと隣り合わせにあります。自分が自分の宇宙の中心にあるパワフルな存在であると同時に、より大きな計画のほんの小さな一部分にすぎないことを、私たちは知るのです。

私たちは今、人類とだけでなく、自然と、そして宇宙のすべてと調和します。これまでは、権威者、あるいは権力を握っていると私たちが判断した人に対し、卑屈になるか、または反対に反抗的だったり、優越感を持ったり、攻撃的になったりしたかもしれません。すべては平等である、という視点に立てば、そのどちらの態度も間違っていることがわかります。

自分以外の人や意見。その人たちが人生にもたらすものを尊重することを私たちは覚えました。疎外されて孤独だと感じたり、劣等感を感じたりする必要がないことも私たちにはわかっています。そうした自信をもつことで、私たちは、自分の個性を保ちながら、他の人とともにチームを組んで働くことができます。どんな状況においても私たちは一人一人みな、他の人にはない何かを提供することができるのです。

【ソーラー・プレクサスから受け取る成功と繁栄のエネルギー】

潮の満ち引き、季節の変遷、昼と夜の移り変わり、月の満ち欠けと月経周期、惑星の回転ー自然は常に周期的に動いています。ソーラー・プレクサス・チャクラは、私たちがこうした動きの必要性を尊重することを要求します。エネルギーの流れを保つためにそれが必要なのです。私たちの中にあるパワーと光を外界に向かって放ち、同時に外界からの贈り物を受け取るためにオープンでいることによって、私たちにはそれが可能です。

贈り物を受け取るときには、自分の胸のあたりがぽっかりと開くところをイメージします。 すると温かな、元気の出るような感覚があり、心臓とみぞおちの中間あたりに、ある種の身体的な感覚を覚えるのです(曖昧な言い方ですが、正確に説明するのは難しいのです)。

それから、ユニバースの豊かさと、最終的に私のためになる機会はすべて受け入れる、というアファメーション(自己宣言)を言います天に向かって愛情を送り、そして、必要なものは何もかも、もうすぐ私の人生に流れこんでくる、という絶対の確信をもってその愛情を送り出します。

それはたいてい奇跡的な結果を生みます。ときには自分が期待したこととは全く違うことが起こったりもしますが、あとになって振り返ってみれば、それは自分の創造力をはるかに肥えたものであることが多いのです。

成功し、裕福であることには何の問題もありません。むしろ私は、私たちはみな成功するために出来る限りの努力をする義務があると思っています。なぜならそうすることで、エネルギーの流れがユニバースに行きわたり、誰もがそれによって恩恵を被るからです。ただしそこには普遍的なルールがあります。受け取るためにはまず与えなくてはならないということです。

「受け取るためには与える」というルールを思い出してください。成功の順番が自分にも回ってきてほしいと思うなら、その車輪を少々後押ししてやることが必要です。それにはまず初めに与えることです。そうすれば、仕事、愛、心の平安、物質的な豊かさ、健康、友情、それに恋愛関係など、あらゆる側面での成功で報いられます。善意と純粋な心をもち、心をオープンな状態に保つならば、欲しいものは容易に手に入るようになります。

このルールに従っていないのに成功しているようにみえる人はたくさんいる、とあなたは言うかもしれません。でも成功とは、経済的な安定だけで測られるものではありません。前述したようなあらゆる角度から観れば、そういう人たちは結局、大して成功などしていないのがわかるのではないかと思います。いくらお金を持っていても、心が平安でなかったり、忙しすぎて自分の労働の収穫さえ楽しむ時間がなかったりしたのでは意味がありません。健康なソーラー・プレクサス・チャクラは、本当の意味での成功、繁栄につながる道を私たちに開いてくれます。

【第3チャクラがブロックされたときに起こる出来事】

私たちが特定の感情を「ネガティブ」と呼ぶのは、それを感じるのが気持ちのよいことではないからです。怒り、憤怒、嫉妬、恨み、罪の意識などが含まれます。けれども、もし私たちが自分にその感情を体験することを許すなら、それらの感情は、私たちの人生を大きく動かす強力な力となるのです。何が理由であれ、そうした感情を消化できていないとしたら、それらはソーラー・プレクサス・チャクラに溜まっています。

ソーラー・プレクサス・チャクラの発達は、8歳〜9歳の頃に始まります。ですからこの時期に経験したトラウマや苦痛は私たちに大きな影響を与えます。一般的に、トラウマの体験が早ければ早いほど、またその痛みが大きければ大きいほど、私たちはそこにフタをしてしまいます。これは心理学用語では「抑圧」と呼ばれます。ときとして私たちは抑圧があまりにも上手になり、それがそこにあることすら、もはや意識しなくなります。私のクライアントの中に、子供時代のことを何も覚えていないという人がよくいますが、それは子供時代が大変残酷なものであったというケースが多いのです。

ソーラー・プレクサス・チャクラのヒーリングワークを始めようとするとき、抑えていた感情が解放されると、それが火山のように爆発して、あなたや周りの人たちを破壊してしまうのではないか、と心配かもしれません。でも大丈夫、注意深く進めば、破壊的な状況にはなりません。たとえば燃えるような怒りをうまく利用することができれば、それは私たちを一気に、健康な状態へと大きく前進させてくれる燃料となります。終わりを迎えている恋愛関係や虐待的な状況、不要になった慣習などから私たちを脱出させてくれるのは、往々にして怒りか憎しみです。それによって私たちは、長い間縛られてきた感情や心情操作に、巻き込まれないだけの距離を置くことができるのです。

このチャクラがバランスを失ったり塞がってしまっていたりすると、自分を哀れな状況の犠牲者のように感じ、感情は抑えつけられ、自信はなくなり、尊厳を守ることができません。疲労感、エネルギーの欠乏、スタミナ不足に悩む人が多く、前に進もうとしてもその意欲が妨げられてしまうかもしれません。

健康なソーラー・プレクサス/チャクラがくれるエネルギーと勢いなしでは、毎日は苦闘の連続となり、私たちは次から次へと障害に遭遇して、そのたびに疲れ果ててしまいます。外からは意志が弱く、自主性、自己表現、そして方向性に欠けているように見えるでしょう。自分が隠そうとしている怖れや痛みが解放され、危機を引き起こす危険のある状況を避けようとするあまり、やる気や意欲をも失うでしょう。

感情体と霊体がブロックされていれば、肉体にもまた障害が起こり、消化不良、潰瘍、胃酸過多、便秘、過敏性大腸症候群、憩室症、その他慢性の消化器官の疾患がみられます。便秘と下痢を繰り返すこともあります。膵臓を司っているのもこのチャクラなので、糖尿病が起こることもあります。胆のうや胆管が胆石で詰まり、腹部の不快感が症状をさらに悪化させます。食べることに慰めを得ようとする無益な試みは、より複雑な症状の原因となることもあります。すでに弱くなっている消化器官は、超過負担となり、難しい症状をさらに悪化させます。そして肥満が自尊心をますます弱めるのです。

抑圧された怒りとがんの発生の関係は立証されていますし、興奮症、睡眠障害、やる気の欠如、疲労感、体重の増加あるいは減少、うつ病、絶望感といったストレス性の症状もいろいろあります。思い当たることはありませんか?

これはつまり、あらゆる意味で沈滞している状態と氾濫が交互に起こっているようなものです。感情が全く欠落しているかと思えば、制御不能なほどに溢れだしてしまったり、何もやる気にならないかと思うと、ときにエネルギーが爆発し、その結果疲労困憊してしまいます。また、自己主張して言うべきことを言うのを嫌がるかと思うと、たまに発作的に誰の耳にも痛い真実を口にするのだけれど、それが攻撃的で不適切な言い方だったり、というようなことが起こるのです。

エネルギーの中央通路が上部のチャクラと下部のチャクラの間で分断されてしまうため、血行が悪くなり筋肉が凝って骨盤や下肢が冷たくなることもよくあります。このチャクラで、エネルギーを浄化し調和させるのに必要なワークを行うことで、私たちは解放され、肉体的にも感情的にも霊的にも、強い意志、パワー、明晰さ、自信、目的を持って前進することができるようになります。ただし、このチャクラが開きすぎていると、他の人のネガティブなエネルギーや感情、特に怒りや不安を拾い上げてしまいがちです。


チャクラは、自分のからだの外に存在するエネルギーセンターで、体内に7つあって、下から第1、第2ときて、お腹(丹田あたり)にある太陽神経叢と呼ばれる場所のチャクラが第3チャクラ。黄色いオーラがある部分で、日本的には「肚をくくる」の肚の部分にあたります。ここのエネルギーが弱いと、意志力が弱く、ものごとを決められない、といったことが起こります。あとアイデアが湧いたり、第六感と関係ある部分のひとつとも言われています。

この本では説明のあと、ネガティブな想いを解放するエクササイズ(手紙を書くとか)と、メディテーション(瞑想)のやり方が書かれているのですが、地道なこうした努力というか、真剣な試みが大事だなあ、最近そういうことから少し離れてしまっていたなあと自分自身は少し反省・・・。この本、ちょっと翻訳がカタイというか、直訳っぽくてわかりづらいところがあるのだけれど、内容はとても充実しているなあと思います。

魂からの癒し チャクラ・ヒーリング魂からの癒し チャクラ・ヒーリング
ブレンダ・デーヴィス 三木 直子

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痛みを鎮める最新治療

ーー『脳の中の身体地図 ボディマップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ』サンドラ・ブレイクスリーより引用

手足がかじかんで感覚がなくなるまで、寒い戸外にでていたことがあるだろうか?その後、冷えきった手足を冷たい水に突っ込むと、やけどしそうに感じる。水が熱湯のように思えるのだ。ところが、アリゾナの太陽が照りつけるなか、気温が45度を越えていたらどうだろう?同じ温度の水が今度はとてもひんやりと、肌に心地よく感じられる。つあmり、あなたが身体から送られてくる信号をどう受け取るかは、恒常性の状態次第というわけだ。

これは、痛みに対する新しい見方示唆する現象だ。つまり、痛みは身体の状態に関する見解だという視点である。あらゆる体性感覚の中で、最も主観的で、最も構成的であり、最も可変的であるのが痛みである。といっても、痛みの重要性を軽視しているわけではないし、痛みに対する考え方が間違っているから慢性疼痛を抱えることになるのだと言いたいわけでもない。痛みの解釈には記憶、情動、思い込みが入り込んでくるものだと言いたいのだ。痛みと呼ばれる恒常性のアンバランスに対する反応は、ある程度、自分の態度によって左右されるのである。痛みを状況や思い込み、予想に基づいて強いと解釈するにも、弱いと解釈するにも前帯状皮質がとりわけ大きな役割を演じているように思われる。

痛みを逸らしたり軽減したりするのに催眠療法やプラシーボ(偽薬)、気晴らしが有効である理由はここにある。痛みの閾値が状況によって大きく異なる理由も同じだ。たとえば、タトゥーを入れたいと思えば長時間に及ぶ激痛にも何のそのなのだが、これが無理やり入れられるとなると、脳天を突き抜けるほどの痛みを感じることになる。痛みが望ましいものー中毒になることさえある。”自傷行為”の習慣化がそのよい例だ(ナイフやかみそりによる儀式的な自傷が驚くほど広く蔓延している理由を説明する仮説のひとつに、耐え難い精神的・社会的苦痛の重みに比べれば肉体的苦痛は救いのように感じられるというものがある。精神的・社会的苦痛も、島皮質と前帯状皮質を介して感じるからである。普段なら歯の根が合わなくなるほどの冷水浴でも、氷のように冷たい湖で泳いだ後は爽快なほど温かく感じられるのと似ているのかもしれない)。

クレイグによれば、情動に動機が加わったものが痛みである。乾きや痒み、吐き気のような、身体からの恒常性の体験であって、手で砂をすくったり、ハンマーの重さやバランスを感じたりするような外受容の体験ではない。痛みは本来不快で、身体が危険にさらされていることを警告するものだ。体内の恒常性のメカニズムは自力でバランスを取り戻すことができない。そこで、身体の曼荼羅の残りの部分が動員される。救済や援助を得ることに注意が向けられるのである。

ーー

身体はさまざまな形で恒常性のバランスを崩す。正常な形、すなわち”自然のなすがまま”の形では、欠乏や身体的損傷がアンバランスの原因となる。水分不足?塩分不足?栄養が足りない?何か腐ったものを食べた?暑すぎる?棘を踏み抜いた?身体があなたに知らせると、強い情動と動機が一緒になって、あなたに修正行動をとらせ、バランスを回復させようとする。たいていの状況では、あなたがとれる修正行動はかなり単純だ。水を飲む。必要な栄養が含まれているものを食べる。腰を下ろして、一休みする。けがをした足をしばらく地面につかないようにする。

しかし、ほかの形で恒常性が失われると、修復ははるかに困難になったり、不可能に近くなったりすることがある。不安症やうつなどの気分障害は内臓を冒す決定的な要素であり、恒常性のコントロール喪失に関係してくるおそれもある。たとえば、不安症患者は自分の内臓感覚にことのほか敏感だ。何でもない人や場所、物に対する自律神経系の意識が増幅されているために、生命の危機とと誤解してしまうのかもしれない。不安症患者が、蛇やクモのゾッとするような絵を突きつけられるような、悪い予感を覚えると、右前島皮質が暴走してしまうのである。

うつの場合も同様に、起伏がない否定的な情動が肉体的なうつの症状と結びついていることが多い。極度のうつ状態にある人々は、行動に移す意欲が鈍っているとも訴える。自分が何をしたいか、何をしなければならないかはわかっていても、”麻痺している”あるいは一日中、夢の中で歩いているように感じているのだ。

こうした状況における最大の悪役は慢性ストレスだとクレイグは言う。ストレスは交感神経系を過度に働かせて、恒常性の機能を崩壊させてしまう。その結果が、慢性疲労、線維筋痛、腰痛、消耗、燃え尽き症候群、判断力の欠如、不眠症などだ。こうした症状のイメージング研究では例外なく、右前島皮質の発火が確認されている。苦痛を伴う疾患、過敏性腸症候群においても、直腸拡張刺激検査で右前島皮質の活動亢進が認められる。

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もっと侵襲性の少ない右前島皮質鎮静手段としては、ニューロ(神経)フィードバックと瞑想がある。どちらも大変な人気を呼んでいるが、それというのも、言葉の記憶以外には脳に何の痕跡も残さない数々の自助のためのアドバイスとは違って、脳の活動と構造を劇的なまでに一新してくれることが証明されているからである。
ーー
瞑想もまた、痛みと痛みと情動をコントロールする方法である。ある研究では、30年にわたって瞑想を実践してきた被験者の痛みに対する脳の反応が、謙譲な対照のそれを40〜50%下回ることが確認されている。一部の人にとっては、瞑想は心疾患に対する優れた防御手段ともなっている。
毎分の呼吸数を通常の10〜12回に代えて6回にすると、自律神経系をバランスのとれた状態に引き戻すことができる。身体を通して、右前島皮質にまで効果が達するのである。内部感覚に対する意識を積極的に磨いていくと、驚くべき結果が得られる。ヨガ行者やラマ僧のように熟達した瞑想家は実際に、自分の心拍数や酸素消費量など、自律神経系の基本機能を意識的にコントロールすることができる。しかも、無上の幸福と情動の安定をも感じるという。

右頭皮質のボディマップを調整しようと努めることこそが、自分で自分にできる最善の投資のひとつと確認される日も近いかもしれない。

痛みの感覚が相対的なもの、というのはわかる気がする。蚊に刺されても、気になるときもあれば大してきにならないときもあるから。そして、ちょっとした異常(寒いとか暑いとか)そういうカラダに関わる変化であればみんなすぐわかるのだけれど、慢性的な痛み以外の症状に関しては、かなりの人が無視をする。そして、痛みという形で(それはこの論理でいうと、何らかのストレスが更にかかった場合ということだろう)出てきたときに初めて、自分のカラダに何かおかしなことが起こっている、と気づくのだ。この本は、拒食症の人が、鏡で自分を見ても自分のカラダを(本当に脳の異常で)そのままに直視できないというようなことも書かれてあって、とても面白かった。

脳の中の身体地図―ボディ・マップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ
サンドラ ブレイクスリー マシュー ブレイクスリー Sandra Blakeslee
477269515X

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ドーパミンと線条体

ーー『脳が「生きがい」を感じるとき』グレゴリーバーンズより引用ーー

まずドーパミンについて説明しよう。ドーパミンは喜びをもたらす脳の化学物質とみなされてきたが、最近になってそれ以上の働きをしていることが明らかになった。ドーパミンは単純な構造の分子で、ニューロンの小さな集まりの中で合成される。ドーパミンを作る細胞の数はおよそ三万から四万で、脳のニューロン全体の百万分の一よりも少ない。しかしドーパミンがなければ、あなたが報酬として感じていることは何も感じられなくなる。

ドーパミン・ニューロンの集まりは脳内の二カ所で見つかっている。そのひとつは下垂体の上に集まっている。下垂体は脳の下部からぶら下がる小さなイチジクの形をした部位で、甲状腺や副腎などさまざまな内分泌腺を刺激するホルモンや、排卵を調整するホルモンを分泌している。
報酬と関連のあるドーパミン・ニューロンのもうひとつの集まりは脳幹の中にある。脳幹とは脳から脊髄に移行するゾーンにあたる長さ10cmほどの神経組織で、とても狭い場所だが、非常に多くの情報が流れている。脳幹の中には特殊な働きをするニューロンの小さな集まりがいくつもあり、ドーパミンを作る細胞もそうした集まりのひとつだ。

しかしドーパミンのような神経伝達物質は、行き先がなければなにもしない。神経伝達物質とそれが働きかける受容体は、鍵と錠のように特別な関係にある。そして脳の中でドーパミン受容体が集中している場所が「線条体」だ。親指と人差し指でUを作って逆さにしたものが線条体のだいたいの形と大きさで、それが頭骨のほぼ中央でふたつひと組となって脳幹にまたがっている。

線条体は脳の中でターミナル駅の働きをしている。つまり脳全体から送られてくる神経の情報という列車を受け入れているのだが、一時にそのすべてを調整できるわけではない。情報の大半はさまざまな機能をもつ前頭葉から送られてくる。前頭葉は、行動を起こす上で脳のほかのどこよりも必要とされる部位である。その行動には、からだの動きから目の動き、話すこと、読むこと、そして思考に至るまで、手短かにいえば、あなたが実際にしていることすべてと、心に思い描ける行動のすべてが含まれる。このありとあらゆる情報が線条体という一点に集まってくるので、本物のターミナル駅のように、どの瞬間をとっても実際にそこを通過できるのは2、3の行動に限られる。そして何が通り抜るかはドーパミンと大きく関わっている。

ドーパミンは線条体を通過しようとするものを、一瞬、安定させ、言うなれば、どの列車が通過するかを決めているのだ。つまり、ドーパミンは、皮質の中でざわめきながら待機している数百もの選択肢からなんらかの活動を選び出し、それにあなたの運動システムを関わらせているといえる。

その何かをしようとするまでの過程を表現するもうひとつの言葉がある。それが「動機(モチベーション)」だ。あなたはある動機を得ると、一連の動きを決める。一方、何かをするときには、それをやり遂げたいという動機が生まれる。つまり動機と行為は、ひとつの過程を別々の切り口から見たものなのだ。ドーパミンはその過程をスタートさせる触媒として働いている。線条体の中に勢い良く流れ込んで来て、ある行動の列車を特定の線路の上に送り出しているのだ。

線条体では、あなたと外界のできごとの相互作用が起きている。線条体を流れる情報は多く、この相互作用は非常に密度の濃いものとなっている。だからこそ線条体は人が生き生きと暮らしていくためにとても重要なのだ。たとえば、あなたがとても慣れている行動をするときには新しい要素や予想外の何かに出会う可能性はほとんどなく、ドーパミンの量も満足度もおそらく低い。
しかし、これまでしたことのない行動をするとき、あなたは未知の領域に入り、線条体には新しい情報が流れ込み、ドーパミンがどんどん分泌され、あなたはその情報に応じて動くように仕向けられる。新しい情報に反応してドーパミンが出させることが、強烈な満足感の核心であり、それが動機のシステムをスタートさせる。しかし新しい出来事は、ドーパミンを分泌させて気分を高揚させるだけでなく、脳を実際に変化させている。

情報の断片は、脳に入ってきて記憶の箱に収まるだけでなく、脳を分子レベルで変化させているのだ。思えばとても不思議である。紙の上のインクやテレビから出てくる光子のように抽象的なものが、なぜあなたの脳のニューロンの間でタンパク質を移動させたりできるのだろう。あなたの脳は、情報をニューロンの発火という具体的な形に変え、頭の中のほかの情報のかけらと融合させる。そしてDNAレベルでは、ドーパミンやほかの神経伝達物質が新たなタンパク質の合成を引き起こす。

本の中では”これまでしたことのない行動をするとき、あなたは未知の領域に入り、線条体には新しい情報が流れ込み、ドーパミンがどんどん分泌され、あなたはその情報に応じて動くように仕向けられる。”と書かれている。
結局のところ、私がなにか新しいことをしたがるのは、ドーパミンをガンガン出させて満足感を得たいという、そういう本能的な欲求から来ているのかな?なんて思う。そして一度その味を覚えてしまうと、ちょっと中毒っぽくもあるけれど、もっともっと!という感覚が増えてきて、それこそが人生の質を高める全てだという風に考えていくのかなあとも思った。でも、新しいことを積極的に求める人と、そうでもない人との違いはどこにあるのだろう?今までの経験上それが快感として認識されてない人は、つまり、ドーパミンをガンガン排出させて精神的高揚感や満足感を得たことがあまりない人にとっては、それがどれほど重要かということがわからない、ということなのだろうか。

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満足感とは?

ーー『脳が「生きがい」を感じるとき』グレゴリーバーンズより引用ーー

プロローグ

脳の深いところには、行動と報酬を結びつける構造がある。私は十年にわたって研究した結果、おそらく満足感の鍵となっている部位がチャレンジと新しい体験によって成長することを知った。新しいことへの挑戦や初めてのことは、避けて通りたいもののように思われがちだが、じつはそれらこそが満足感をもたらす要因となっているのだ。その証拠は満足感ともっとも関わりの深い場所、つまり脳に見つけられる。

まずはじめに、深い満足感は容易に得られるものではないことを認めなければならない。それはただチャンネルを選ぶだけで観られるテレビを1時間ほど観たあとと、しっかりエクササイズをして過ごしたあとの気分を比べてみればすぐにわかる。・・・

ここから第二の仮説が引きだされる。それは、満足感の本質は脳の中にあるというものだ。脳のどこからそのような感覚が生まれるのかがわかれば、もっと容易に満足感を得られることができるだろうし、その知識は満ち足りた人生を送る方法を指し示してくれるだろう。脳が満足感をつかさどっているというこの考え方をだれもが受け入れるとは思わないが、なんらかの挑戦を成功させたあとにわきあがってくる満ち足りた感じは、喜びや悲しみや怒りと同じく確かに存在するものだ。

けれども、満足感というものは、他の感覚と違ってたまたま感じるものではない。それは、自分自身で創り出さなければならないものであり、そこには動機が必要となってくる。

動機についてわかっていることの大半は神経伝達物質のドーパミンと関わっている。1990年代半ばまで、科学者の多くはドーパミンを脳内の快楽物質と見なしていた。確かにドーパミンは食べ物やセックスや薬物といった快楽に反応して分泌されるが、一方、騒音や電気ショックなど不快なものへの反応としても分泌される。実際、ドーパミンはこれらの刺激に先んじて分泌され、快楽物質というよりはむしろ予感物質として働いている。

ドーパミンの昨日についてもっとも手短に説明すれば、それはあなたの運動システムーーー肉体ーーーになんらかの行動をさせている、といえる。この見方が正しいとすれば、そもそも強い満足に伴って体中が熱くなるような感覚はドーパミンによるものとされているのだから、そのような満足感は目標を達成したときよりも、その目標に向かってせっせとドーパミンを出しているときのほうが多く感じられるはずだ。

ではどうすれば脳の中に流れるドーパミンの量を増やせるのだろう。その鍵は「新しさ」にある。脳の活動を画像化する実験が数多く行われ、ドーパミンを分泌させるには新しい体験がとても有効だということがわかった。なぜなら新しい体験は新しい行動を促すからだ。初めて鑑賞する絵画でも、新しい言葉を覚えることでも、楽しいこと、楽しくないこと、なんでもよいのだが、重要なのはそこに驚きがあるということだ。脳は、驚きによって刺激される。それはわたしたちが予想できない世界に生きているからで、好むと好まざるとにかかわらず、私たちはあるがままの世界を受け入れる脳を与えられている。あなたがいつも新しい体験を好むわけではないとしても、あなたの脳はそれを好む。脳はそれ自身の心をもっていると言ってもいい。

この「新しさの原則」は、脳幹の一番上にあるひとかたまりのニューロンの働きから推定したことだ。この原則が意味するところを考えれば考えるほど、それが私たちの生活をより豊かにするように思えて興味がそそられる。だがこの原則は実験室で真偽が確かめられる類いのものではない。

結局人生の舞台の広さを決めているのはあなたの行動である。あなたは何を、何故求めているのだろう。それを理解するには、脳と行動のつながりについて知っておいたほうがいい。あなたの真の欲求、すなわち脳の新しさへの欲求を理解すれば、あなたは人生が想像以上に不思議で驚きに満ちたものだと知るだろう。

ん〜脳から見た満足感の定義。フロイトによる「苦痛を避けて快楽を得る」という快楽原理からではなく、「新しいものを好む」というのはとても面白いと思った。この本ではそれらを著者本人がランニングハイになろうとしたり、SMクラブに行ったり!したりしながら検証していくとても面白い本だ。

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瞑想中の反応いろいろ

ーーーー『宇宙の根っこにつながる生き方』 天外伺朗より引用ーーーー
第4章 かんたん瞑想で身も心もすっきりする 

瞑想中の望ましい反応

1. 手足などの体の一部、あるいは体全体が軽くなった感じ、もしくは存在しないような感じになります。透明になったような、あるいはビリビリとしびれるような感じになります。

2. 心身がゆったりとくつろいだ感じ、体が温かく包まれている感じになります。気持ちがよく、至福感にあふれてきます。

3. 脈拍がゆったりとして楽になります。

4. 呼吸がゆったりと穏やかになります。最終的には、自然に呼吸筋が動かなくなります。


瞑想中にともなう正常な反応

1. 唾液が大量に出ます。

2. 悲しくもないのにわけもなく涙が出てきます。

3. 皮膚がむずむずしたり、かゆくなったりします。(かゆくなったらかけばいいし、我慢する必要はありません)また、お腹がゴロゴロいいます。

4. 心臓の鼓動がドキドキ強く感じられます。(鼓動が速くなるということではありません。速くなるのはよくない反応です)

5. せきが出ます。悪いところが痛くなります。(胃腸が悪い人はお腹が、膝が悪い人は膝が痛み出します)

6. 体の一部がピクッと動くことがあります。あるいはガクガクと震えがきます。極端な場合は体が勝手に動き出します。(これらはすべていいことです。ストレスの解消を体が自動的にやっているわけで、心配する必要はまったくありません。体が勝手に動きだすことを気功法では「自発動功」といいます。ストレスの解消がある程度進めば、体が動かなくなります。本当の瞑想はそこからはじまりますあ。)

7. 瞑想中の反応ではありませんが、瞑想をはじめるようになると、朝早く目覚めるようになります(瞑想をすることによって睡眠の何倍かの休息がとれ、自然に睡眠が足りて目が覚めるわけで、少しも心配はいりません)

8. 瞑想直後に軽いめまいを感じます。あるいは頭に軽い圧迫感が残ります。記憶がすこしおかしくなり、かんたんなことが思い出せません。(だいたい30分で復帰します)

うーむ。要するに自律神経系の活動がすごく活発になるということだよね。そしてこの反応はクレニオセイクラルをやったときに非常に似ている。とくに6は本当にかなりの人が起こす反応で、手足がピクっと動くことはいいことされているし、こないだはクレニオのセッション中本当に体がすごい勢いで動きだして、ストレッチしてるみたいな感じになったりだとかということもあった。

あと、7はいいなあ。私はまだ朝早くに起きられない。朝型の生活にしたいしたいと願いながらもなかなか睡魔に勝てない。でも今は瞑想を毎日やってるわけじゃないので、これを習慣にしていって、気がついたら自然に朝型になっていた、というふうになっているといいな〜

瞑想をストップしたほうがいい症状

1. 頭が締め付けられるような強い頭痛がきたり、悪寒や吐き気、もしくは腹部に強い圧迫感が来る

2. 脈拍がどんどん速くなってくる。正常な状態では脈拍はしだいに遅くなっていきます。

3. 息苦しくなったり、呼吸がどんどん速くなる

4. 原因不明の恐怖感を覚えることがある

5. 霊界に入る(幽霊が見えたり、息吹が聞こえたりします)


以上が好ましくない反応です。こういう反応がでたら、5以外の場合は、すぐに瞑想をやめ、横になってゆっくり休んでください。

そして次にやるときは、少し時間をおいてやったほうがいいでしょう。そのときも、事前の体操にもっと時間をかけたり、あるいはジョギングなどでもっと体を動かしておくことが必要です。また、深呼吸をもう少し長くし、体も徹底的にゆるめます。というのは、体のどこかにこわばりがあるときにこのような好ましくない反応が起こりがちだからです。要するに瞑想の前の準備にもう少し時間をかけることです。

フロイトの弟子のひとり、ライヒは、人間はいろいろなストレスを受けると、それが筋肉の緊張となって残り、精神的な障害の原因になると考えました。彼は、この筋肉の緊張を「性格の鎧」と呼んでいます。過去に受けたストレスが鎧のように筋肉の緊張となって残り、その人の性格を形成しているというわけです。

成人なら、誰でも多かれ少なかれ「性格の鎧」をもっており、体にさわってみると、その人がこれまで受けたストレスの程度がわかるといいます。ということは、体をほぐすこと、つまり鎧を破壊することがストレスの解消につながるということです。その方法がボディワークです。今世の中にあるボディワークのほとんどは、ライヒの理論から出発しています。

人生の歪みが、ライヒのいうように体のどこかにきている人は、瞑想をしても快い瞑想にはなりません。体の緊張をほぐす必要性はそこにあります。
現代人は運動不足で、バランスが悪くなっており、瞑想だけをやると、「好ましくない反応」が起きがちです。ですから、そういう反応が起こる人は、事前になるべく思い切り体を動かしましょう。ヨーガや気功法をきちんとやってみるとか、ボディワークをきちんと受けてみることをおすすめしたいと思います。

「性格の鎧」か。鎧とは非常に言い得ている気がする。本当に鎧みたいになっている人いっぱいいるもん。すごい筋膜が緊張して張っていて「奥には絶対入れさせない!」と主張しているカラダ。筋肉の奥のほうになんて絶対どれだけ力を入れても入らない。からだをさわるとある程度その人のストレスレベルがわかるというのもとても納得。体格だとかからだの状態を見たら、だいたいその人の性格とかもわかる。からだの特徴が、すなわち性格上の特徴。違っていることは今までの中ではひとりもいない。ちなみにこのライヒという人について調べてみたら、結構すごい人生を送っていて、そういう人がこの理論を打ち立てたのかと思うと非常に興味深かった。


宇宙の根っこにつながる生き方―そのしくみを知れば人生が変わる宇宙の根っこにつながる生き方―そのしくみを知れば人生が変わる
天外 伺朗

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ちなみに、この天外さんという方は、実は非常に技術畑の方で、ソニーの取締役をつとめ、CDの開発者だったりAIBOを世に送り出したりした人らしい。そういう方がこういう宇宙の話、瞑想の話をされるっていうのがすごく面白いなと思った。最近読んだ本に『イーグルに訊け』という本があって、その作者だったので読んだのだけど、全部が全部”納得!”というわけではないけれど、なるほどな〜と思うところがあったのでメモしてみた。

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瞑想と脳内麻薬

ーーーー『宇宙の根っこにつながる生き方』 天外伺朗より引用ーーーー
第4章 かんたん瞑想で身も心もすっきりする 

脳内麻薬を出すのが瞑想の目的

瞑想法というと、日本では座禅が有名です。ほとんどの宗教は何らかのかたちでこれを取り入れていますし、気功法の静功や、武道の鍛錬のなかにもみられます。それぞれがさまざまな方法論を説いていますが、いずれもいかに心身をリラックスさせ、雑念をはらうかということを、瞑想状態に入るためのテクニックとしています。

瞑想が深くなると、人間の脳の中で「脳内麻薬」物質が分泌されることが知られています。分子構造はコカインやヘロインなどの麻薬に似ていますが、人間の体のなかで生成するものですから、麻薬のように神経がボロボロになってしまうような副作用もありません。瞑想をすると、大変気持ちがよくなったり、幻覚を見たりすることがあるのは、この物質のおかげです。

なぜ、この物質のおかげでそういうことが起こるのでしょうか。人間の脳の前頭葉に、エーテン(A10)神経と呼ばれる神経があります。人間の創造性や快楽を刺激する神経です。たとえば、「楽しい」とか「わくわくする」といった気分のときは、このエーテン神経が興奮しており、人間にやる気や創造性を発揮させます。そして、この神経を興奮させるのがβ-エンドルフィンなどの「脳内麻薬」なのです。

瞑想を行うと、この「脳内麻薬」が分泌され、ホンワカと気持ちよくなってきます。それがもっと高じると、「意識の拡大」という現象が起こることがあります。これは瞑想中に恍惚状態になったり、幻覚を見たりする現象です。

人によってはランナーズ・ハイで、あたかも自分で自分自身の姿を離れた位置から見ているような感じになることがあります。自分の斜め後ろ上方から自分を見ているような感じになる。これを「目撃の体験」といいます。これは、一流選手なら一度ぐらいは経験している現象であり、それほど珍しいことではありません。

極端な場合には、時間を超越してしまうこともあります。まだ走行中なのに、ゴールでテープを切る自分の姿が見えてしまうのです。そして、しばらくすると本当にその通りになる。ということは、自分の未来の姿が見えていたということになるわけで、これを「未来視の体験」といっています。
このような「目撃の体験」や「未来視の体験」をする現象を「意識の拡大」と呼んでいるわけです。


最後のこの「意識の拡大」はフローだとかゾーンという状態のことを言っているのだろう。ということは、フロー状態にあるときには、βエンドルフィンがいっぱい出てるってことなんだろう。きっとそういう研究なんかもたくさんあるんだろうな。私はそういう体験したことはないように思うけど、一生に1回くらいはこんな状態を体験してみたいかも。

ディスコもマラソンも一種の瞑想

一般に瞑想法というと、座禅のように静かに座ってやるイメージが強いのですが、じっとしているだけが瞑想ではありません。体を激しく動かしながら瞑想状態に入ることもあります。ランナーズハイもそうですし、あるいはディスコで踊り狂っているときに瞑想状態に入ることもあるでしょう。
また、念仏を長時間唱えたり、単調なメロディーを長時間歌ったり聴いたりしていても瞑想に入りやすいようです。楽器演奏でリズムにのっているとき、とくに管楽器を演奏しているときにも瞑想状態に入ることがまれにあります。これは、呼吸の長さと無関係ではないでしょう。吸う息の長さにくらべ、吐く息のほうが長いほど、人間の意識はリラックスします

このように、いろいろな条件の中で、人間は脳内麻薬を出し、瞑想状態に入ります。瞑想の方法論がいろいろあるのはそのためでしょう。ということは、基本的に脳内麻薬が出るのであれば、瞑想法はどんな方法論でもかまわないわけです。

普通、脳内麻薬は死ぬときとか、マラソンなどでものすごく苦しくなったとき以外は、それほど大量には分泌されません。それ以外で大量に分泌されるのは、瞑想や坐禅の修行が相当に進んだときです。瞑想して、脳内麻薬が少し分泌してくると、ファーといい気持ちになり、宇宙に包まれたような感じになります。修行が進んで、それが大量に出るようになると、「意識の拡大」が起こり、ときには幻覚のなかで、次に述べるような「魔境の体験」や「聖なる体験」をするようなことも起きてきます。

「聖なる経験」の警告

「魔境の体験」というのは瞑想中、幻覚を見ることです。単に人形が見えたり、不思議なものが見えるだけのこともありますが、ときには悪魔が出てきたり鬼が出てきたりして、非常に怖い目に遭うことがあります。
また、幻覚のなかで神様や仏様に会ったり、天使や精霊、あるいは昔の聖人に会って、会話を交わしたりすることもあります。仏教ではこれも「魔境の経験」の一つに数えていますが、私はこれを区別して「聖なる経験」と呼んでいます。というのは、これは瞑想をしている人にとってとくに注意が必要だからです。

神様に会ってありがたい言葉をちょうだいしたりすると、自分は「悟り」を開いたのだと錯覚し、有頂天になって舞い上がってしまうケースがよくあります。それが非常に危険なのです。多くのカルト集団の教祖が、実はこのケースに相当します。
ユングは、そういう状態のことを「魂の膨張(インフレーション)」と呼び、次のように忠告しています。

こういった体験を、自己と一体化するのを避けて、あたかも人間領域の外側にあるかのように扱うのが賢明でしょう。もし同一化すると、あなたは魂の膨張、一種のエクスタシー的高揚状態に陥り、まったく道を誤ってしまうでしょう。 膨張というのはまさしく小さなかたちの狂気、狂気の緩和されたかたちなのです。そして、もしあなたが完全な膨張状態まで燃え上がってしまうと精神分裂病になります。『ユングと東洋』

私はその危険性を心得ている事が重要なのだと思います。ですから、仏様が出てこようが鬼が出て来ようが、それを突き殺すまでもなく、映画を見ているような気持で、その場面を楽しめばいいのではないでしょうか。ただし、それは決して「悟り」を開いた状態ではないということをきちんと心得て、映画を見ることができてよかった、といいう程度にとどめておく。それが、瞑想をはじめるにあたって心得ておくべき最大の注意事項といえるでしょう。それさえ覚えておけば、あとは、それほど心配するような危険性は、瞑想にはありません。


瞑想の危険性について触れている文章には初めて出会ったので、なるほどな〜とちょっと思った。
私たちは、否が応でも瞑想だとかヨーガだとかと宗教、しかもカルト宗教とを結びつけがちだ。それはもう本当にオウム真理教の犯した大きな罪のひとつだと思うのだけれども、オウムとは関係なくても瞑想に対して持つ「漠然とした不安感」というのは、ひとつはこういう「なんか変になっちゃったらどうしよう」的なことなのかもしれないなと思った。「私は神を見たので悟りを開きました」みたいな感じになって、現実世界に帰ってこれないんじゃないか、という恐れ。けれども、「神様を見た」的なことが、もし自分の身に起こったとしても、それをちゃんと自分の外側のことだとして冷静に受け止めていけばいいのだな、と思うと、そういう漠然とした不安感みたいなものはなくなるような気がする。


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集合的無意識の仮説

ーーーー『宇宙の根っこにつながる生き方』 天外伺朗より引用ーーーー
第1章 魂に栄養をつける生き方

本当の自分は内側にしかいない
わくわくするような感動を現代人が忘れてしまったのは、いったいなぜでしょうか。自分自身の魂の内側から発しているメッセージに耳を傾けなくなってきたからだ、と私は思います。つまり、本当の自分自身につながろうという努力を放棄してしまっているからではないでしょうか。

もちろん、昇進するとか、お金が儲かるといったレベルの感動もないとはいえません。しかし、そういう感動は、魂の底からしびれるような、本当の意味での感動には決して結びついてはいかないだろうと思います。本当の感動というのは、もっと本来の自分自身とつながったところから湧き出てくるものであって、そういう感動にひたれるときこそ、人間は心の底から幸福を感じることができるのだと思います。

どんなにささいなことにも感動できるということこそが、人間として正常なのだと私は思います。そしてそういう正常な状態に戻ること、つまり本当の自分自身とつながることこそが人間にとって幸福であり、それを求めるプロセスこそが人生なのではないでしょうか。

同じように、「外に行くな。真理は(自分の)内部の人に宿っている」といったのは、スイスの心理学社で精神医学者のユングです。
ユングは、自分という存在を説明する言葉として、「エゴ(EGO)」という言葉と「セルフ(SELF)」という言葉を使い分けています。日本語では一般にエゴを「自我」セルフを「自己」と訳していますが、自分の「内部の人」というのは、この「自己」のことであり、それこそが本当の自分自身であるということでしょう。

このあと例としてメーテルリンクの『青い鳥』の話が書かれてある。幸福の青い鳥を求めてあちこち旅するチルチルとミチルは、最終的に自分の家の中にあったといういお話は、幸福は結局のところ自分の心の内側にあるということを言いたかったのだろうと。

私はこれに似た経験をラオスという国で体験したことがある。ラオスというのはタイの北部にある(GDP的にいうと)貧しい国で、タイに水力発電で得た電気を売って成り立っているような国家であるが、ラオス北部のルアンパバーンという街でぶらぶら歩いているとき、川で洗濯をしていた母親に対岸で遊んでいる子供が大声でなにかを叫んでいたのを見た。

たぶん「そろそろご飯だから帰っておいで」「いやもっと遊びたいよ〜」みたいな会話だっただろうと思うのだけれども、そのの光景をぼんやり見ながら、私は何故か「ああ、幸せっていうのは、お金があるとかそういう外側の条件じゃなくて、心の中の問題なんだな」って突然思ったのだ。こんな日本から遠く離れた果てみたいな場所で、少なくとも絶対にお金持ちには見えない親子が、私を含む異国の旅人よりもなんとなく幸せそうに見えた。それは、私自身の長く続いた旅もそろそろ終わりかなと思った瞬間でもあった気がする。

人間の意識はすべてつながっている

人間の心は二重構造になっており、日常私たちが自覚している「意識層」と、その奥底に潜んでいる、ふだんはまったく意識できない、それでいて人間にいろいろ無自覚的な行動を起こさせる「無意識層」があります。

最初にこの「無意識層」を発見し、注目したのは、心理学者のフロイトでした。フロイトの弟子であったユングは、たくさんの臨床経験をもとに、人間の「無意識」の奥底に、さらに深く分け入っていきました。ユングが導き出した結論は、あまりにも一般常識からかけ離れていたために、多くの人々にすぐに理解されるといつわけにはいきませんでした。ユングは次のように言っています。

人間の「無意識」は、個人に所属するのではなく、全人類に共通であり、つながっている。

これが、ユングの「集合的無意識の仮説」といわれるものです。
人と人とは意識の深いレベルでつながっています。集合的無意識には、親族の無意識とか民族の無維持期とか、いろいろな階層があるようですが、しかし究極的に「無意識」は、奥深いところで全人類的につながっているというわけです。

もしユングのいうとおりなら、本当の自分自身、真実の人間性をもった「自己」は、表面の自分を掘り下げていった奥底にあります。そこではみんながつながっていて、自分も他人も区別がありません。したがって仮に競争のなかで他人を蹴落とせば、深いところで自分自身を蹴落とすのと同じことになるのです。また、他人の心の痛みを自分の心の痛みとして感じられる人は、本当の自分自身とどこかでつながっている人なのでしょう。
「虫の知らせ」とか「胸騒ぎ」とか「テレパシー」あるいは「以心伝心」などという現象は、人間の心と心がどこかで網の目のようにつながっていなければ、ありえないことではないでしょうか。

無意識からのメッセージに耳を傾けよ

ユングの仮説で極めて興味深いのは、「無意識」は未来を知っているとした点です。この仮説の根拠になったのは夢、すなわち「予知夢」でした。

予知夢そのものはそれほど珍しい現象ではありません。夢が「無意識」からのメッセージであるということは、フロイト以来の精神分析学の常識です。だとすれば、予知夢という現象は「無意識」が夢を通して未来のことを知らせているということになるでしょう。それは、「無意識」は未来を知っている。つまり、時間を超越した全知全能の存在である、ということになるわけです。

ユングはまた、夢は私たちの行くべき道を教えてくれる、と説いています。

人間の魂は、「無意識」と対話することにより、しだいに進化し、聖なる方向へ変容する。

「無意識」と対話するには、いろいろな方法があります。夢を分析し、解釈することも、その一つといえるでしょう。しかし、もっとも直接的で強力な方法は、何といっても瞑想法です。

魂が進化していくと、人間の表面的な「意識」と、その奥の「無意識」とが、最後は完全に一体化していきます。これが仏教でいう「悟り」の境地でしょう。

集合的無意識の話は、今まで読んだいろんな本に出てきていて一度じっくり勉強してみたいなあと思っていた。大学のゼミの教授はとにかく「引用されたら原典を当たれ」を口酸っぱく言っていたので、最終的にはユングの本を読むべきなんだろうけど、最初はわかりやすい解説書からなじんでいかないと、専門用語が多いとさっぱりわからないんだよね〜。

それにしてもまた瞑想・・・。最近読む本のあちこちに瞑想は素晴らしい的な話が載っている。
最近私も少しずつやりはじめたけど、でもほんとうに、やっぱりいいかも、瞑想。ただ座るだけの瞑想だけじゃなくて、いろいろな形で瞑想をすることができる。それはすなわちきっと無意識ーー自分自身の魂ーーとの会話なんだろうな。


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