痛みを鎮める最新治療

ーー『脳の中の身体地図 ボディマップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ』サンドラ・ブレイクスリーより引用

手足がかじかんで感覚がなくなるまで、寒い戸外にでていたことがあるだろうか?その後、冷えきった手足を冷たい水に突っ込むと、やけどしそうに感じる。水が熱湯のように思えるのだ。ところが、アリゾナの太陽が照りつけるなか、気温が45度を越えていたらどうだろう?同じ温度の水が今度はとてもひんやりと、肌に心地よく感じられる。つあmり、あなたが身体から送られてくる信号をどう受け取るかは、恒常性の状態次第というわけだ。

これは、痛みに対する新しい見方示唆する現象だ。つまり、痛みは身体の状態に関する見解だという視点である。あらゆる体性感覚の中で、最も主観的で、最も構成的であり、最も可変的であるのが痛みである。といっても、痛みの重要性を軽視しているわけではないし、痛みに対する考え方が間違っているから慢性疼痛を抱えることになるのだと言いたいわけでもない。痛みの解釈には記憶、情動、思い込みが入り込んでくるものだと言いたいのだ。痛みと呼ばれる恒常性のアンバランスに対する反応は、ある程度、自分の態度によって左右されるのである。痛みを状況や思い込み、予想に基づいて強いと解釈するにも、弱いと解釈するにも前帯状皮質がとりわけ大きな役割を演じているように思われる。

痛みを逸らしたり軽減したりするのに催眠療法やプラシーボ(偽薬)、気晴らしが有効である理由はここにある。痛みの閾値が状況によって大きく異なる理由も同じだ。たとえば、タトゥーを入れたいと思えば長時間に及ぶ激痛にも何のそのなのだが、これが無理やり入れられるとなると、脳天を突き抜けるほどの痛みを感じることになる。痛みが望ましいものー中毒になることさえある。”自傷行為”の習慣化がそのよい例だ(ナイフやかみそりによる儀式的な自傷が驚くほど広く蔓延している理由を説明する仮説のひとつに、耐え難い精神的・社会的苦痛の重みに比べれば肉体的苦痛は救いのように感じられるというものがある。精神的・社会的苦痛も、島皮質と前帯状皮質を介して感じるからである。普段なら歯の根が合わなくなるほどの冷水浴でも、氷のように冷たい湖で泳いだ後は爽快なほど温かく感じられるのと似ているのかもしれない)。

クレイグによれば、情動に動機が加わったものが痛みである。乾きや痒み、吐き気のような、身体からの恒常性の体験であって、手で砂をすくったり、ハンマーの重さやバランスを感じたりするような外受容の体験ではない。痛みは本来不快で、身体が危険にさらされていることを警告するものだ。体内の恒常性のメカニズムは自力でバランスを取り戻すことができない。そこで、身体の曼荼羅の残りの部分が動員される。救済や援助を得ることに注意が向けられるのである。

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身体はさまざまな形で恒常性のバランスを崩す。正常な形、すなわち”自然のなすがまま”の形では、欠乏や身体的損傷がアンバランスの原因となる。水分不足?塩分不足?栄養が足りない?何か腐ったものを食べた?暑すぎる?棘を踏み抜いた?身体があなたに知らせると、強い情動と動機が一緒になって、あなたに修正行動をとらせ、バランスを回復させようとする。たいていの状況では、あなたがとれる修正行動はかなり単純だ。水を飲む。必要な栄養が含まれているものを食べる。腰を下ろして、一休みする。けがをした足をしばらく地面につかないようにする。

しかし、ほかの形で恒常性が失われると、修復ははるかに困難になったり、不可能に近くなったりすることがある。不安症やうつなどの気分障害は内臓を冒す決定的な要素であり、恒常性のコントロール喪失に関係してくるおそれもある。たとえば、不安症患者は自分の内臓感覚にことのほか敏感だ。何でもない人や場所、物に対する自律神経系の意識が増幅されているために、生命の危機とと誤解してしまうのかもしれない。不安症患者が、蛇やクモのゾッとするような絵を突きつけられるような、悪い予感を覚えると、右前島皮質が暴走してしまうのである。

うつの場合も同様に、起伏がない否定的な情動が肉体的なうつの症状と結びついていることが多い。極度のうつ状態にある人々は、行動に移す意欲が鈍っているとも訴える。自分が何をしたいか、何をしなければならないかはわかっていても、”麻痺している”あるいは一日中、夢の中で歩いているように感じているのだ。

こうした状況における最大の悪役は慢性ストレスだとクレイグは言う。ストレスは交感神経系を過度に働かせて、恒常性の機能を崩壊させてしまう。その結果が、慢性疲労、線維筋痛、腰痛、消耗、燃え尽き症候群、判断力の欠如、不眠症などだ。こうした症状のイメージング研究では例外なく、右前島皮質の発火が確認されている。苦痛を伴う疾患、過敏性腸症候群においても、直腸拡張刺激検査で右前島皮質の活動亢進が認められる。

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もっと侵襲性の少ない右前島皮質鎮静手段としては、ニューロ(神経)フィードバックと瞑想がある。どちらも大変な人気を呼んでいるが、それというのも、言葉の記憶以外には脳に何の痕跡も残さない数々の自助のためのアドバイスとは違って、脳の活動と構造を劇的なまでに一新してくれることが証明されているからである。
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瞑想もまた、痛みと痛みと情動をコントロールする方法である。ある研究では、30年にわたって瞑想を実践してきた被験者の痛みに対する脳の反応が、謙譲な対照のそれを40〜50%下回ることが確認されている。一部の人にとっては、瞑想は心疾患に対する優れた防御手段ともなっている。
毎分の呼吸数を通常の10〜12回に代えて6回にすると、自律神経系をバランスのとれた状態に引き戻すことができる。身体を通して、右前島皮質にまで効果が達するのである。内部感覚に対する意識を積極的に磨いていくと、驚くべき結果が得られる。ヨガ行者やラマ僧のように熟達した瞑想家は実際に、自分の心拍数や酸素消費量など、自律神経系の基本機能を意識的にコントロールすることができる。しかも、無上の幸福と情動の安定をも感じるという。

右頭皮質のボディマップを調整しようと努めることこそが、自分で自分にできる最善の投資のひとつと確認される日も近いかもしれない。

痛みの感覚が相対的なもの、というのはわかる気がする。蚊に刺されても、気になるときもあれば大してきにならないときもあるから。そして、ちょっとした異常(寒いとか暑いとか)そういうカラダに関わる変化であればみんなすぐわかるのだけれど、慢性的な痛み以外の症状に関しては、かなりの人が無視をする。そして、痛みという形で(それはこの論理でいうと、何らかのストレスが更にかかった場合ということだろう)出てきたときに初めて、自分のカラダに何かおかしなことが起こっている、と気づくのだ。この本は、拒食症の人が、鏡で自分を見ても自分のカラダを(本当に脳の異常で)そのままに直視できないというようなことも書かれてあって、とても面白かった。

脳の中の身体地図―ボディ・マップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ
サンドラ ブレイクスリー マシュー ブレイクスリー Sandra Blakeslee
477269515X

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ドーパミンと線条体

ーー『脳が「生きがい」を感じるとき』グレゴリーバーンズより引用ーー

まずドーパミンについて説明しよう。ドーパミンは喜びをもたらす脳の化学物質とみなされてきたが、最近になってそれ以上の働きをしていることが明らかになった。ドーパミンは単純な構造の分子で、ニューロンの小さな集まりの中で合成される。ドーパミンを作る細胞の数はおよそ三万から四万で、脳のニューロン全体の百万分の一よりも少ない。しかしドーパミンがなければ、あなたが報酬として感じていることは何も感じられなくなる。

ドーパミン・ニューロンの集まりは脳内の二カ所で見つかっている。そのひとつは下垂体の上に集まっている。下垂体は脳の下部からぶら下がる小さなイチジクの形をした部位で、甲状腺や副腎などさまざまな内分泌腺を刺激するホルモンや、排卵を調整するホルモンを分泌している。
報酬と関連のあるドーパミン・ニューロンのもうひとつの集まりは脳幹の中にある。脳幹とは脳から脊髄に移行するゾーンにあたる長さ10cmほどの神経組織で、とても狭い場所だが、非常に多くの情報が流れている。脳幹の中には特殊な働きをするニューロンの小さな集まりがいくつもあり、ドーパミンを作る細胞もそうした集まりのひとつだ。

しかしドーパミンのような神経伝達物質は、行き先がなければなにもしない。神経伝達物質とそれが働きかける受容体は、鍵と錠のように特別な関係にある。そして脳の中でドーパミン受容体が集中している場所が「線条体」だ。親指と人差し指でUを作って逆さにしたものが線条体のだいたいの形と大きさで、それが頭骨のほぼ中央でふたつひと組となって脳幹にまたがっている。

線条体は脳の中でターミナル駅の働きをしている。つまり脳全体から送られてくる神経の情報という列車を受け入れているのだが、一時にそのすべてを調整できるわけではない。情報の大半はさまざまな機能をもつ前頭葉から送られてくる。前頭葉は、行動を起こす上で脳のほかのどこよりも必要とされる部位である。その行動には、からだの動きから目の動き、話すこと、読むこと、そして思考に至るまで、手短かにいえば、あなたが実際にしていることすべてと、心に思い描ける行動のすべてが含まれる。このありとあらゆる情報が線条体という一点に集まってくるので、本物のターミナル駅のように、どの瞬間をとっても実際にそこを通過できるのは2、3の行動に限られる。そして何が通り抜るかはドーパミンと大きく関わっている。

ドーパミンは線条体を通過しようとするものを、一瞬、安定させ、言うなれば、どの列車が通過するかを決めているのだ。つまり、ドーパミンは、皮質の中でざわめきながら待機している数百もの選択肢からなんらかの活動を選び出し、それにあなたの運動システムを関わらせているといえる。

その何かをしようとするまでの過程を表現するもうひとつの言葉がある。それが「動機(モチベーション)」だ。あなたはある動機を得ると、一連の動きを決める。一方、何かをするときには、それをやり遂げたいという動機が生まれる。つまり動機と行為は、ひとつの過程を別々の切り口から見たものなのだ。ドーパミンはその過程をスタートさせる触媒として働いている。線条体の中に勢い良く流れ込んで来て、ある行動の列車を特定の線路の上に送り出しているのだ。

線条体では、あなたと外界のできごとの相互作用が起きている。線条体を流れる情報は多く、この相互作用は非常に密度の濃いものとなっている。だからこそ線条体は人が生き生きと暮らしていくためにとても重要なのだ。たとえば、あなたがとても慣れている行動をするときには新しい要素や予想外の何かに出会う可能性はほとんどなく、ドーパミンの量も満足度もおそらく低い。
しかし、これまでしたことのない行動をするとき、あなたは未知の領域に入り、線条体には新しい情報が流れ込み、ドーパミンがどんどん分泌され、あなたはその情報に応じて動くように仕向けられる。新しい情報に反応してドーパミンが出させることが、強烈な満足感の核心であり、それが動機のシステムをスタートさせる。しかし新しい出来事は、ドーパミンを分泌させて気分を高揚させるだけでなく、脳を実際に変化させている。

情報の断片は、脳に入ってきて記憶の箱に収まるだけでなく、脳を分子レベルで変化させているのだ。思えばとても不思議である。紙の上のインクやテレビから出てくる光子のように抽象的なものが、なぜあなたの脳のニューロンの間でタンパク質を移動させたりできるのだろう。あなたの脳は、情報をニューロンの発火という具体的な形に変え、頭の中のほかの情報のかけらと融合させる。そしてDNAレベルでは、ドーパミンやほかの神経伝達物質が新たなタンパク質の合成を引き起こす。

本の中では”これまでしたことのない行動をするとき、あなたは未知の領域に入り、線条体には新しい情報が流れ込み、ドーパミンがどんどん分泌され、あなたはその情報に応じて動くように仕向けられる。”と書かれている。
結局のところ、私がなにか新しいことをしたがるのは、ドーパミンをガンガン出させて満足感を得たいという、そういう本能的な欲求から来ているのかな?なんて思う。そして一度その味を覚えてしまうと、ちょっと中毒っぽくもあるけれど、もっともっと!という感覚が増えてきて、それこそが人生の質を高める全てだという風に考えていくのかなあとも思った。でも、新しいことを積極的に求める人と、そうでもない人との違いはどこにあるのだろう?今までの経験上それが快感として認識されてない人は、つまり、ドーパミンをガンガン排出させて精神的高揚感や満足感を得たことがあまりない人にとっては、それがどれほど重要かということがわからない、ということなのだろうか。

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満足感とは?

ーー『脳が「生きがい」を感じるとき』グレゴリーバーンズより引用ーー

プロローグ

脳の深いところには、行動と報酬を結びつける構造がある。私は十年にわたって研究した結果、おそらく満足感の鍵となっている部位がチャレンジと新しい体験によって成長することを知った。新しいことへの挑戦や初めてのことは、避けて通りたいもののように思われがちだが、じつはそれらこそが満足感をもたらす要因となっているのだ。その証拠は満足感ともっとも関わりの深い場所、つまり脳に見つけられる。

まずはじめに、深い満足感は容易に得られるものではないことを認めなければならない。それはただチャンネルを選ぶだけで観られるテレビを1時間ほど観たあとと、しっかりエクササイズをして過ごしたあとの気分を比べてみればすぐにわかる。・・・

ここから第二の仮説が引きだされる。それは、満足感の本質は脳の中にあるというものだ。脳のどこからそのような感覚が生まれるのかがわかれば、もっと容易に満足感を得られることができるだろうし、その知識は満ち足りた人生を送る方法を指し示してくれるだろう。脳が満足感をつかさどっているというこの考え方をだれもが受け入れるとは思わないが、なんらかの挑戦を成功させたあとにわきあがってくる満ち足りた感じは、喜びや悲しみや怒りと同じく確かに存在するものだ。

けれども、満足感というものは、他の感覚と違ってたまたま感じるものではない。それは、自分自身で創り出さなければならないものであり、そこには動機が必要となってくる。

動機についてわかっていることの大半は神経伝達物質のドーパミンと関わっている。1990年代半ばまで、科学者の多くはドーパミンを脳内の快楽物質と見なしていた。確かにドーパミンは食べ物やセックスや薬物といった快楽に反応して分泌されるが、一方、騒音や電気ショックなど不快なものへの反応としても分泌される。実際、ドーパミンはこれらの刺激に先んじて分泌され、快楽物質というよりはむしろ予感物質として働いている。

ドーパミンの昨日についてもっとも手短に説明すれば、それはあなたの運動システムーーー肉体ーーーになんらかの行動をさせている、といえる。この見方が正しいとすれば、そもそも強い満足に伴って体中が熱くなるような感覚はドーパミンによるものとされているのだから、そのような満足感は目標を達成したときよりも、その目標に向かってせっせとドーパミンを出しているときのほうが多く感じられるはずだ。

ではどうすれば脳の中に流れるドーパミンの量を増やせるのだろう。その鍵は「新しさ」にある。脳の活動を画像化する実験が数多く行われ、ドーパミンを分泌させるには新しい体験がとても有効だということがわかった。なぜなら新しい体験は新しい行動を促すからだ。初めて鑑賞する絵画でも、新しい言葉を覚えることでも、楽しいこと、楽しくないこと、なんでもよいのだが、重要なのはそこに驚きがあるということだ。脳は、驚きによって刺激される。それはわたしたちが予想できない世界に生きているからで、好むと好まざるとにかかわらず、私たちはあるがままの世界を受け入れる脳を与えられている。あなたがいつも新しい体験を好むわけではないとしても、あなたの脳はそれを好む。脳はそれ自身の心をもっていると言ってもいい。

この「新しさの原則」は、脳幹の一番上にあるひとかたまりのニューロンの働きから推定したことだ。この原則が意味するところを考えれば考えるほど、それが私たちの生活をより豊かにするように思えて興味がそそられる。だがこの原則は実験室で真偽が確かめられる類いのものではない。

結局人生の舞台の広さを決めているのはあなたの行動である。あなたは何を、何故求めているのだろう。それを理解するには、脳と行動のつながりについて知っておいたほうがいい。あなたの真の欲求、すなわち脳の新しさへの欲求を理解すれば、あなたは人生が想像以上に不思議で驚きに満ちたものだと知るだろう。

ん〜脳から見た満足感の定義。フロイトによる「苦痛を避けて快楽を得る」という快楽原理からではなく、「新しいものを好む」というのはとても面白いと思った。この本ではそれらを著者本人がランニングハイになろうとしたり、SMクラブに行ったり!したりしながら検証していくとても面白い本だ。

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