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幸福感を得るためにーー気分操作の方法2ーー

ーーーー『感情』ディラン・エヴァンズより引用ーーーー
第3章 幸福への近道より

色の使用と音楽

色が私たちの情動に直接影響を与えることはめったにない。自閉症などの心的障害においては、まだらな色を見るだけでパニックが引き起こされることもあり得るが、多くの健常な人においては、色は気分に影響を与えることを通して間接的に情動に影響を及ぼすのである。

さまざまな色が、心地よいイメージを生み出すよう配置され得るように、多様な周波数を有する音もまた魅力的なメロディーを生み出し得るようアレンジされる。視覚的な絵画と同様に、音楽もまた、ただ純粋に愉悦をもたらすために、私たちの近く能力に直接訴えかけるよう設計された技法である。

皮膚接触の情動的な効果

他の人に優しくなでられることで脳内に天然アヘンが放出され、それがくつろいだ気分に結びつく。このことの進化論的な根拠は、人とチンパンジーの最後の共通祖先にとってグルーミング(毛づくろい)が重要であったことは、現代のチンパンジーが一日に何時間もかけて互いの毛からダニを取り除いている様を思えば、充分に考え得ることである。
私たちの進化した触覚的好みがマッサージの基礎となっている。マッサージは音楽や美術と同じく、歴史の古い技法である。

わぉ!天然アヘンですか。でも基本的に、肌と肌が触れあうことが気持ちいいものでなければ、人間は繁殖しなかったわけだから、当然といえば当然?けれども、この皮膚感覚がいろいろな要素(たとえば凝りがあるとか冷えているとか)で感じなくなってしまうこともあって、そういう人はきっと感情的にもいろいろなものを溜め込みすぎて、情動が出にくい状態になているということも考えられるよね。

味覚操作と薬物

味覚にかかわる気分操作の技法はもちろん料理である。料理は、自然の風味を増幅させ、「超刺激」の域まで高め、私たちの味覚芽を、自然がそうしえきた以上により魅惑的にくすぐるのである。
しかし、ここで自然選択は、それがもともと準備した紆余曲折の道筋には従わず、あえて幸福感への近道を進もうとする私たちに対して、ある仕返しをする。それは、私たちにブドウ糖を見つけるための安上がりで単純な仕組み、すなわち甘いものへの好みを与えたことで、私たちが自らの健康にふさわしい量以上にそれを欲してしまう危険な状態をつくりだしたのである。

今日では糖分は、スイーツと呼ばれる濃縮したかたまりで口に入り、わたしたちのそれに対する強烈な欲望は健康に深刻な問題を引き起こしている。肥満は現在、多くの豊かな国において流行病なみに増えてきているが、これは多量の糖分や脂肪を欲する進化的に準備された欲求と、料理という名の新しい技法が久美合わさったために生じてきたものなのである。

味覚に関わる気分操作の技法は、私たちの味覚芽を刺激したり、あるいは、その後の消化プロセスに他の科学的効果を及ぼしたりすることを通して、良い気分を誘発しようとする。

チョコレートは、糖分を含むほとんどの食物や飲料がまさにそうであるように、きわめて効率的な気分増幅器なのである。しかし、研究結果が示すところでは、たいがいの人は、チョコレートを食べた直後、よりポジティブでエネルギーに溢れているような気分になるのだが、この効果はすぐに弱まり、一時間後には、最初にチョコレートを食す前の段階よりも、ずっと悪い気分になってしまいがちなのである。お茶やコーヒーにも同じことが言え、それらもたしかに、ほんの短時間、気分を良い方向に増幅させるが、その後はそれよりも少し長い時間にわたって、気分を悪い方向に引き下げてしまうのである。ほとんどの薬物もまたしかりである。

それでころか食物と薬物との線引きはかなり恣意的なものであり、今日でさえ、薬物を、私たちが消費する他のさまざまな種類の物質から区別する充分な科学的基礎はいまだに存在していないのである。私たちは、栄養や味覚上の効果を期待してではなく、主に向精神作用を期待してあるものを摂取するとき、それを薬物という傾向がある。しかし実際のところ、ほとんどの種類の食物や飲料は心の状態になにがしかの影響を及ぼすものなのである。例えばカッテージチーズやチキンレバーには、脳がセロトニンと呼ばれる化学物質を作る際に必要となる高レベルのトリプトファンが含まれているが、この物質はいったん摂取されると人に良い気分をもたらすのである。
薬物は、食物とは完全に独立したカテゴリーとみなすよりも、むしろ、食物の延長線上の極に位置するとみなしてしかるべきものである。

よく考えたらものすごいことを書いてあるような・・・。チョコレートも薬物も効果は同じようなもんだ、ということだよね?でも確かにこの甘いものへの嗜好っていうのは中毒に近いものがあるような気がする。実際私も砂糖はなかなかやめられない。カフェインは特になくても大丈夫だけれど、砂糖なしで1週間、、となると、最初はキツそうだし、そもそもそんなのやりたくない!っていう感情的な拒否反応がありそうだ。でも不思議なことに、最近運動を定期的に始めたら、前ほど甘いものへの執着が減ってきたようにも思う。そっちで脳内麻薬が出てるから甘いものへの依存が減って来ているってことなのかなあ??

薬物という化学的経路

薬物は、幸福感へとつながる、おそらく最も直接的な近道である。重篤な抑うつに悩む人においては、そうした化学的経路こそが、まさに唯一のものとも言えるかもしれない。

気分を変える薬が、抑うつ患者にプロザックが処方されるときのように治療目的で用いられるにせよ、パーティ好きの者がエクスタシーを飲むときのように、気晴らし目的で用いられるにせよ、そこで生じる化学的作用は同様のものである。プロザックもエクスタシーもセロトニンのレベルを引き上げる働きをしている。こうしたことから、ある人たちは、セロトニンが気分の化学的基礎をなしていると考えるに至っている。このような理論に従うならば、脳内のセロトニンが高レベルにあると私たちは良い気分になり、一方そのレベルが下がると落ち込むことになる。しかし、こうした単純な仮説は、すべての証左と符合するものではない。
実のところ、気分の化学的起訴の詳細がいかなるものであるのか、また、抗うつ剤がどのような仕組みで作用するのかといったことについては、あまりよくわかってはいないのである。

ドーパミンノルアドレナリンといった、セロトニン以外の脳内化学物質も、気分の変化においては重要な役割を果たしている。それゆえに、こうした化学物質に作用する薬物も、情動状態を変化さえるのに用いられ得る。コカインやアンフェタミンは、脳内のドーパミンやノルアドレナリンのレベルを引き上げるわけであるが、そのため、これらの薬物には人を多幸的にする作用があると考えられる
しかしクロロプロマジンのような他の薬物も同じような作用があるものの、それらには同じような瞬間的な多幸作用はないのである。

ほとんどの気晴らしを目的とした薬の効果は、短期的なものであり、ハイな状態は比較的すぐに終わり、その後、はっきりと不快な落ち込み状態が続くことになる。最初の効果が薄らぐ前に、また薬を服用することでハイな状態を維持することが可能であるが、そうしてハイな状態を長く維持すればするほど、やがて襲ってくる落ち込み状態は最悪のものとなる。落ち込み状態が来るのを無限に先に引き延ばそうとして、ハイな状態を長く続けるために薬を飲み続け、ついには中毒症状に陥る者が出てくる。そうしたケースにおいては、薬の習慣を維持することだけが、生活の中における唯一、価値ある活動になってしまい、他の全てのことが無意味化してしまう。

わたしは、マジックマッシュルームとか葉っぱ系のものは一度も試してみたことはない。そういうものが蔓延して手に入りやすい国には何度も行ってるけど(笑)カフェインにすら劇的な効果をもたらす私なので、(全然眠れなくなる!)そういうキツい薬物は、摂ったら空恐ろしいことになりそうな気がして怖くてやれない。(いや、それはもちろん正しい選択だ!)

あと、その終わったあとの気分の落ち込みなんて絶対体験したくないというのがひとつあるのと、もうひとつ、何人かわたしのまわりで抗うつ剤のような薬物を処方されたことのある人がいて、その人が昔「ものすごく悲しかったりつらかったりするはずなのに、薬の効果で何故か本当に気分がよかったり、幸せな気持ちになるんだ。じゃあそんな化学物質で物理的に変化してしまう人間の感情って一体なんなのだろう?」というようなことを言っていて、その深い問いかけの答えを私は未だに見つけられずにいる。だからこそこういう本に興味が出てくるのかもしれない。

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