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幸福感を得るためにーー気分操作の方法1ーー

ーーーー『感情』ディラン・エヴァンズより引用ーーーー
第3章 幸福への近道より

気分操作について私たちの祖先が最初に発見した技法は言葉であった。ここでは慰めること、楽しませること、「発散する」ことの3つについて述べようと思う。

慰めること

私たちの祖先は、話し方を身につけるまでの長い間、おそらく抱きしめたり優しくなでたりすることでお互い慰めあっていた。しかしいったん言葉が発明されると、かれらは同情や忠告の言葉をかけることで慰めるという新しいやり方を見つけたのだと考えられる。そうするうちに、彼らは言葉が強力な抗うつ剤になりうることを発見したのである。こうしたやり方はとても長い間私たちの身近にあったので、今やもうほとんど本能的なものになっている。

アーロン・ベックが1960年代に始めた認知療法という心理療法の一形態は、まさにこの種の内的独言に基づいている。
人にその人自身のネガティブな思考を特定し、それとポジティブなものとを入れ替える方法を教えることによって、認知療法のセラピストは、人が情動の奴隷ではなくて支配者になれるよう試みる。悪い気分をもたらしている思考を取り除き、楽しい気分を促進するような思考を積極的になし得るように訓練することで、私たちは自らの情動の状態を制御し、完全なる意志の力をもって憂うつな気分から脱する術を手に入れられるであろう。しかしこれはいつでも可能なことではないかもしれない。
ときに、情動があまりにも強烈であるため、代わりとなる思考を抱けないようなこともある。

もちろん認知療法は単に表面的な示唆を与えるものではなく、むしろネガティブな思考を特定し、除去するための具体的テクニックを教えるものでもある。熟練したセラピストによって行われるときには、それは抑うつに対処する上でプロザックなどの薬と同じくらいに有効であり得る。しかしながら、その実際の効果はセラピストのアドヴァイスよりも、むしろ(それに随伴して与えられる)同情の表現によるものではないかと考えている。

楽しませること

誰かを元気づけるためのもう一つの言葉の使い方は、おもしろい話をしたりジョークを言ったりすることである。話(story)というのは、本来、私たちの社会的な情報に対する、特別に進化した欲求に訴えかけるものであるが、たとえ、その話が真実ではなくても、その欲求はなんとか満たされるものである。

「発散」すること

発散とは、不快な情動が消えてなくなるように、それらについて語ることである。言葉による慰めおよびお話やジョークによる楽しみは、言葉そのものと同じくらい古い起源を有する可能性があるのに対し、発散はかなり最近になって創り出されたものといえる。それは、不快な情動を取り除くという明確な目的を持った言葉の使用である。

しかしこの後、フロイトが発祥のこのやり方は、時には危険なこともあるという展開がされる。

言語は、幸福感へと至る最も効果的な近道ではないようである。よく選びこまれたいくつかの言語はときに慰めをもたらしてくれるかもしれないし、また巧みなジョークはどっと笑いを引き起こしてくれるかもしれないが、こうしたことが、重篤な抑うつを癒すほどまでに充分であることはめったにない。また自分自身の悪い情感について語ることが、いつも気分を好転させるための最良の方法とは限らないのである。こうした理由で人は常に言葉それだけよりも幸福感により素早くまた安全に至り着く近道となる、他の気分変容のための技法を探し続けているのである。

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