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フロー経験ーーロッククライミングを中心に

ーーーーー『楽しむということ』Mチクセントミハイ より引用ーーーーー
第5章 ゲームの楽しさ チェスより

フローを生み出す他のさまざまな方法がわかれば、我々は逆に、なぜ平均的な生活経験はそれ自体として楽しくないのか、ということも理解されてくる。一つの理由として、デューイの経験についての定義ーー明瞭な認知的情緒的な解決を与えるはじめ、中、終わりの相互作用の連続ーーによれば、ほとんどの生活は経験すら構成しないということがあげられる。実際の「経験」においてすら、フロー経験は稀であり、現実の生活について、挑戦が個人の技能に適合していることを確かめる手だてはない。

日常生活においてフローを体験することは難しいために、チェスのようなゲームや宗教的儀式のような限定的なシチュエーションを用意することでフローを感じやすくすることができる、、、ということだな。

第6章 ロッククライミングにおける深い遊びとフロー経験より

身体的危険を含み、これといった外発的報酬がないことから、ロッククライミングは特殊な部類に属するフロー経験の好例である。更に、クライミングという人為的でありながら世俗から隔離された世界は、それ自体行為者にとって、日常生活での現実以上に意味のある現実性を帯びることができる。

フリーダイビングもまさにこれと同じじゃないかなあと思う。以下文章もそう変換し直して読むととても身近で興味深い。

フロー経験の特徴

行為への挑戦の機会
ロッククライミングはーー容易なものから困難なものへの進歩という意味で「垂直的に」、またチェスのように行為者がさまざまな次元で活動に参加できるという意味で「水平的に」ーー無限の行為への挑戦の幅を持っている。
多くの場合、クライマーは自分の技能水準に最も適した挑戦水準を、事前に選んでおくことができる。更にそれぞれのクライミング段階の中でも、潜在的な選択の多様さは無限である。同じ岩場での2回のクライミングが全く同じであるということは決してない。
クライマーはクライミングを安全に成功させるという自明の目標に、新たな目標を付加することによって、慣れたルートをもう一度複雑なものにすることができるであろうし、他者の能力をその限界にまで引き出してやることもできよう。
人が客観的により高い段階へ進むことを選ぶにせよ、一定の技能水準でより美的、情緒的な達成を選ぶにせよ、クライミングは不断の新しさを提供する。

良質のフロー活動は、あらゆる形式の深い遊びと同様、挑戦水準の選択を支配することーーーいわゆる「勝算」の計算ーーーがきわめて重要であるが、同時にその過程に、ある程度の不確かさが潜在していることも必要である。

 例えばフリーダイビングのスタティック練習のとき、いつもは2分余裕で息止めできるけど、今日はターゲット練習で自己ベストを狙おうっていう日もあれば、いかに2分半、苦しくない時間を増やすか、という目標を立てることもある。同じ練習でもそうして目標を変えることで、いろいろなフローパターンを作っているということだろう。また、体調や気分のよさで息の持ち方はまったく違ってくるから、そういう意味では不確かさというのもそこには存在する。

限定された刺激の場への注意集中
普通の日常生活とは対照的に、ロッククライミングという行為は狭く単純化されており、精神的に凝縮されている。ロッククライミングを構成するこれらの要素は、個人が意図する行為や、心に抱く感情や思考などのすべての中からーーー岩に登るというーーー当面かかわりのある狭い部分のみを限定する。クライミング以外の生活上のさまざまなものごとは、関係のないもの、心を乱すものとして放棄され遮蔽される。岩と取り組むために要求される心身の状態は、日常生活からの刺激を遮断するついたての役を果たしている。

ほとんどの形態の深い遊びと同様、ロッククライミングでの強い注意集中と注意領域の限定は、その活動に知的に関与する側面に、危険が加わることによって完全なものとなる。ロッククライミングにおける物理的危険は、被験者がそれに対してどのような結果論的意味づけをしようとも、原則的には当面する状況に対処するための、一つの強制的動機として機能する。注意集中のゆるみや日常生活への顧慮は、それがいかなるものであっても常に遭難の可能性を秘めている。

 集中してないと命が危ない!ってことだよね。フリーダイビングもそういう意味では同じ。
 他にも大波に挑戦するサーフィンだとか、エアを決めるモーグラー、滑降選手なんかも同じものがあると思う。こういうものを”深い遊び”と言ってるんだろう

有能さと支配の感覚
「たしかに危険はあります。しかし、車の運転にくらべて、それは綿密に計算された上での危険なのです。自分がかかわる危険と自分自身の経験とを関連づけることによって、自分がとるべき予防措置の数と種類の見当をつけるのです。この予防措置を講じていれば、自分や環境を支配していると感じます。予想を超えたちょっとした未知の要素は常にあるものですが、それはどうすることもできません。だからそのことを心配することなどできないのです」

明瞭で直接的なフィードバック
クライマーは自分の行為に対する支配を感じるとき、「うまくいっている」事を知る。他方、恐れが目覚めると、自分が「うまくいっていない」という信号、及び調節を必要とするという信号が直ちに発せられる。通常のクライミングの全過程を通して、異なる強度の「支配」対「恐れ」という差動信号によって調整される。このフィードバックのループは絶えず働いている。クライマーが稀に深いフローチャンネルに入る瞬間には、支配の感覚が予測したところまで強まり、安定する。

支配=状況をコントロールしているっていうことかな。すべてがうまくいって流れるように事が進む、そしてそれがちゃんとわかっているということが大事なのか。


行為と意識の融合ーー自我境界の超越
適度な難度の場合には、行為は次の行為へと連続的に水のように流れ、行為者は自分を外から眺めることによる意識の乱れに邪魔されることはない。

行為と意識の融合に大きく関係し合うのは時間の感覚の変化、つまり実際の時間と心理的時間感覚の不一致である。自我意識が減少するフロー経験においては、クライマーはいずれも時間の痕跡を失っている。深いフロー経験のこの時間的側面は「永遠の時間」という矛盾形容法で特徴的に述べられている。

ほとんどのクライマーは、フロー経験の形式的、感情的特徴が低い水準でいくつか入り交じったものを一度か二度は経験している。深いフローや幻想的経験は誰に聞いても稀にしか起こらない。

ここまでくれば素晴らしい。でも楽しいと時間があっという間に過ぎてしまうし、苦しいときつらいときは1分がとてつもなく長く感じたりする。最近ジョギングしながら時計をよく見てしまうけど、あと3分と思ってもキツくて15分くらいに感じたりして。

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