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2011年01月17日

●1月17日はとくべつな日

1月17日がどう特別か?それは、その日体験した人とそうでない人とで
おそらく大きな違いがあるのだろうと思います。
阪神・淡路大震災が起こってから今年で16年が経とうとしています。

私は当時まだ大阪の実家に住んでいて、震災が起こる直前まで神戸の
三宮といわれる繁華街の近くのお店で働いていて、また、西宮という
神戸と大阪の中間地点にある場所の大学に前の年まで通っていました。

何故かその日私は早朝ふと目覚めてしまい、地震が起きた午前5時47分には
意識がはっきりした状態でベッドにいました。
どーーんという下から突き上げるような揺れとともに地響きのようなものが
鳴り響き、これはただ事でないとすぐに思ったことをよく覚えています。

それから何年経っても、やはりこの日は地震の恐怖を体験した人にとっては
忘れることはない日、のような気がします。
多くの人が命を失い、住む場所を奪われました。
私の友人も家屋の半壊・全壊の被害があったし、3ヶ月後に行った
母校の最寄り駅は、まだ全てが滅茶苦茶なまま。

跡形もないってこういうこと?
家が壊れるって、こういうこと?
テレビでは決してわからない、そして川一本渡っただけで
普通に生活を営んでいる私たちと、被災者と呼ばれた人たちとの
圧倒的な違いと違和感。今でも言葉にならない思いがあります。

けれど、「がんばろう神戸」の声とともに、そんな状況でも
”笑い”と明るさを忘れなかったあのときの関西人は凄かったと思うし、
ボランティア元年とも呼ばれるように、日本人の中にあった良心というものが
一気に突き動かされた出来事だったような気がします。

今日のセッションでは、そういう一日と関係があったのかな、と思えるような
深い鎮魂のセッションとなりました。亡くなった魂に祈りを捧げるような
そんなことを思う、言葉にできないほどの深く大切な癒しの瞬間がそこにあった
ような気がしました。

そして、そんな深い命に関わるセッションを終えたあと、
今日、友人家族に赤ちゃんが生まれたというニュースが飛び込んできました。

いのちはつながっている。
そんな風に思える、死と再生を思うとくべつな一日だったように思います。

震災で被害に遭われた全ての方へ黙祷を捧げます。