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2009年11月22日

●軌道修正

(前の日記から続きます)
で、どうしてなのかわからないままいたずらに日々は過ぎていく。どうしたものか・・・と思っているうちに、新しい展開が私にやってきた。それは、、、別の場所になぜか呼ばれたような気がしてきたのだ。まあもちろんそれも錯覚というか、根拠があるものではなく、気のせいといえば気のせいなのだけれども。

わたしの知人で、「その場所のことを違う人から3回聞いたら、そこへ行くことにしている」という方がいる。その話を聞いたときにたまたまメールをしていて、「そういう意味ではわたしはリーチがかかってる場所が2つある」と言ったことを覚えている。そして最近、そのリーチがかかったとある土地のことを、ものすごく久しぶりに連絡が来た友人の口から唐突に発せられたのだ。

あれ?何これ?この場所のこと聞かれるのもしや3回め?(正確には4回目?)
それってもう行けってことなのかしら?バンクーバーじゃなくてそっちに??

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まだどこへ行くというのはこの場ではなんとなく伏せておこうと思うけれど、おそらくわたしはその地に行くことになるのだろうという気がしている。(旅行ですよ、旅行)
そこへ行くということに関しては、何故だか誰かが後押ししているかのように、やたらとスイスイといろんなことが動くのだ。自分が行こうとしている場所であることは間違いないのだけれど、でもそれだけじゃない何かがあるような、、、、。

そして、バンクーバーへは、行きたいけれど、でも今の時点では、少し時期尚早なのかなという気がしてきた。原点に戻って考えてみると、何故オリンピック選手のサポートがしたいかと思ったかというと、やっぱり頑張っている人を応援したい、という思いから始まっている。

今まではフリーダイビングの選手を主に応援してきてきたけれど、もっといろんな人に知ってもらいたい、という思い。だけど、今年はその主役であるはずの”人”がいなかった。なにか縁ができればいいなと思っていたけれど、今の段階では私にまだその縁ができるための準備ができていないのかもしれない。自分の中でもっといろいろと勉強すべきことがあるのかもしれないし、とにかく今すぐではないのだな、と感じたのだ。ひらめいたのはバンクーバーだったけれど、でも別に来年じゃなきゃダメということもないし、これからの人生において、いつかそういう機会に巡り会えばそれでも全然OKなんだ。

よく言われるのが、結果にこだわるのはいいけれど、その手段に関しては固執してはいけない、ということ。どんな方法でも(悪いことじゃなければ)そこにたどり着けばいいわけで、これじゃなきゃダメだとか、いつじゃなきゃ都合が悪いとかいうのは、自分のエゴに過ぎない。

来年バンクーバーに行く、というその結果にこだわることを手放したら、新しい思いがいろいろと動き出した。あんなことをやりたい、こうしたらいいんじゃないか、というような新しいアイデアも湧いてきて、俄然楽しい気分が増してきた。オリンピックに関しては、何かこう少し自分で自分に足かせをしているような少し重苦しい気分があったのかもしれない。「こうあらねば」というような像が勝手に一人歩きしているような。

自分が決めた軌道を修正するのには結構勇気がいることだ。初志貫徹っていうコトバもあるし、なかなか一度走り出そうとしたものにストップはかけられない。でも、なかなか事態が思うように動かないときにふと立ち止まって原点に戻る、ということはとても大切なことなのだなと思った。

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私の目的は「頑張っている人を応援したい」というところから始まっているのだから、オリンピックというのもその一つのステージの一つに過ぎない。もちろんそういう夢はこれからも持ち続けるけれど、そこに固執するのはおかしくて、冬季五輪じゃなくたっていいし、パラリンピックだっていい。フリーダイビングのように、オリンピック種目になりそうにもない超マイナースポーツだって、そこに縁があればそれだって素晴らしいご縁だ。

こころとからだの密接な関係性、ゾーンやフローと呼ばれる”超越した気持ち”を、クレニオセイクラルやクリニカルボディセラピーで感じてもらうこと、そこから自分の可能性を最大限に広げることができることをたくさんの人に実感してもらいたい。それが私の今の大きな目標だ。

たぶん今のこの膠着状態と軌道修正は、そのことに気づかせるためのひとつのきっかけなのだろうと思う。大まかなところではわたしは間違ってはいない。方向性が変わったわけじゃない。だけど、ときどきこうして自分のいる場所、向かう方向ややり方を再確認して、微調整することは、ものごとが大きく動くときにはとても大事なのことのようだ。

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とはいえこうやって写真見てるとやっぱり行きたいな、、、と思うけれども。

コメント

フローという言葉に反応。最近のばななんはまた雰囲気が変わったのかな?

生きてる時間が有限である以上、「いつじゃなきゃ都合が悪いとかいうのは、自分のエゴに過ぎない。」と、ゆーのは別にそーでは無いと思うのだが。

そのヒトの制約だとか前提だとか、も少し抽象的には枠みたいなモノだとかって、ほとんどが「使える時間は有限である」とゆーコトに由来しているのだと思う。枠があるからその枠の範囲内でどこまで出来るか?を考えるコトが出来るワケで。例えばオリンピックで金メダルとゆーのも、
・何年何月何日の時点
・本人の能力以外の環境
・地球上
と、イロイロ枠がある上でのハナシなワケで。なので枠を全部取っ払っちゃうと、ヒトは努力しなくなっちゃうのぢゃないかと思う。

↑で、こんなコトは真に受けてよーと目をそらしてよーと、誰だって知っているコトなのだが、普通は後者かなー。ワシもそーだしw

なのでソレをシゴトでやるとかライフワークとしたいとかだったら逃げ切れないのだけれども、別にソレで食っていくつもりがないのならば、「手段が目的になっている」状態って、けっこー楽しいww

>としさま
”フロー”の状態をいかにキープするか、またはいつでもその状態に持っていけるようにするかが、人生を楽しく生きる秘訣のようにも思います。

雰囲気変わったかしら〜?文章からそれを?ナゾだ・・・。自分ではわからないけど、あんまり変わってないと思います(笑)

>ヨシムラさん
ま、確かにね、全てがエゴだとは言わないけれど、でも例えばどんな弱小高校野球部員でも「甲子園に行きたい!」と思うのは全然アリだけど、実際問題は、、、という話しに近いのかなあと思ったりします。

自分の立ち位置をちゃんと把握して、それから努力をする、ということなんだけど、それを「どうしても来年じゃなきゃ死んじゃう!!」っていう風に枠を狭めたくないなと思って。

真面目にコメントしてくれてありがと!!♪
またスキー行きたいね!

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