●「愛と自立」のエネルギー
※とても長文なのでゆっくり時間あるときに読んでくださいね。
セドナに一緒に行くことになった友人。彼女との出会いのきっかけはそもそもわたしがやっているサロン、モアナブルーのお客さまとしてだった。仕事として彼女の深い話を聞かせてもらっているうちに、「ああ、この人はとてもわたしとシンクロしている部分がある」と感じることが多くなった。
彼女はからだの凝りが多くの場所にあり、たくさんのものが溜まっているために、最初はとてもリラックスなんてできず、激痛に耐えるという感じだったし、繊細な優しさ故に、精神的にもとても多くの傷を抱えていているように感じた。だから最初はきっとつらかったこともあっただろうと思うのだけれど、「でもどうしてもこのセッションが私には必要な気がする」と言って、強い意志と勇気を持って埼玉から何時間もかけて何度も通ってくれていた。
少しずつ少しずつ、からだの張りや凝りとともに、何層もの皮がはがれていった。鎧のようにかぶっていたこころの防御としてのからだの張りやかたさが、少しずつ柔らかくなり溶けていくごとに、彼女のもつ「心の課題」というものも変化していった。そしてもちろん、それに伴って現実世界もどんどんと動いていくことに。
そんなある日、私はセドナに行くと決めたあと、彼女にセッションを行っていた。ヒーラーでありヒプノセラピストでもある彼女なら、もしかしたら職業柄セドナ情報を知っているかもしれないと思って、フットバスに足を浸けてもらっているときに、セドナに行ったことがあるかどうかを尋ねてみたのだった。
彼女の答えはNO。でも何故か昔泊まったことのあるペンションが「セドナ」って名前で、そこのオーナーがセドナ好きらしくて写真がいっぱい張ってあったことを覚えている、なんて話をしてくれた。
そのとき、まったく意図しなかったはずなのに、口から「一緒に行きませんか?」というセリフが出てきたのだった。
あれ?そんなこというつもりだったっけ?と思いながら、でも最初は数人のグループっぽく行こうかなと思ってたので、まあそれもありかとかいう軽い気持ちでそのままおススメしていた。彼女はしばらくぼーっとしたのち、まあとりあえずマッサージしましょうかということになった。
そして、施術が終わってお茶を飲みながら話しをしていたときに、彼女も「なんかセドナ、行ってみてもいい気がする・・・」と言い出したのだ。今まで親友と呼ぶような人以外と旅行に行くことなんてなかった彼女が、特にプライベートなつきあいも(その時は)なかった私の誘いに乗ってみようかな、と思った時点で何か強い力が働いた・・・のかもしれない。