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2008年11月08日

●心の集中そしてダライラマのお話

もやもやしたものを感じているときにやったほうがいいこと。
それは、なにかひとつのものに集中することだ。

手段はなんでもいい。走ったり泳いだりしてもいいし、音楽を聞くだとか本を読むことも悪くない。
とにかく、ひとつのことだけやっている状態をつくりだすのがよい。
私にとっては最近やりはじめてる編み物もたぶんそういうもののひとつ。
目数とか段数を数えながらただ編み続ける。考え事をするヒマがだんだんなくなってくる。

悩んだり考えすぎたりするときは、それをとにかく一時的に忘れる・・・というかそこに意識をもっていかないための手段として、とにかく自分なりになにか一点に集中する方法を見つけることが大切だとおもう。心がただ1点に集中しているとき、フローという状態になるそうだ。時間があっという間のように感じられ、疲れも感じないというそういう状態。

いろんな人の話を聞くと、結局それを作り出せるのは、最初は偶然なんだけど、だんだんどういうときにそのフローが起きるかがわかってくると、それと同じ状態を作りだせばいつでもフローに到達できるという境地になれるのだそうだ。もちろんいつもうまくいくとは限らない。けれども、コツみたいなものは確実にあるらしい。

他のことができないような状態にすること。パワーヨガなんてのも、ポーズを連続してやって、汗がだくだくになって、同じことを繰り返しているうちに、どんどん他のことが考えられなくなってきて、無の境地になりやすいのかもしれない。瞑想を中心としたゆったりしたヨガとはまた違う集中の仕方が身につくのだろう。

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書くこともわたしにとって少し近いものがあるかもしれない。
少なくともこうして書いている間は、他のことを考える時間はない。タイピングする手を止めて、ぼーっとしていると、もちろんその他の雑念のようなものは入ってくるし、自分が落ち着かないその原因について書いているときも、集中してそれについて考えることは難しいところも多少ある。
それでも、書くことで客観的にそれを見つめることができるし、集中して書いているときは、頭が他のことを考えるということはできなくなっている。

考えるという行為は、すごく理知的で素晴らしいことのように思えるけれど、頭の中というのは意外とぐちゃぐちゃで、同じ回路を何度も通ったりする。理路整然と何かを考えているようでいて、その理路というのは「自分の中で慣れ親しんだやり方」ということであって、それが正しいとは限らない。

ダライラマ法王が言っていた。ものごとにはたくさんの面がある。1つのものの見方だけでは、そのものを正しく見ているとはいえない。しかも、怒りや憎しみの心をもってその対象物をみたときは、90%ぐらいは自分でつくりあげた(間違った)認識で、現状を正しく把握することはできない、と。

そう、先日ダライラマ14世の講演を聞きに行ったのだ。
5000人近い人が、平日のお昼間に集まっていた。若い人も結構多かった。(自分世代を若いとするかどうかは微妙なところだが)彼は英語で講演される。ものすごく堪能というわけではないけれど、しかし流暢な英語で話をなさる。日本語の通訳の方も素晴らしかった。

が、やっぱり自分が一番ぐっときたのは、法王のお言葉そのものをしっかり理解できたときだった。通訳の方があとで話す内容ではなく・・・。でも、やっぱり平易な話なのに、ヒアリングも内容そのものもわかりづらくて、「あ〜あ、やっぱりもっと勉強しないとな、英語・・・」という気分になった。

その中で、心を変えたいとき、恐怖や怒りで支配されているとき、それをどう克服するか、それはまず、相手(恐怖や怒りの正体)を知ることだとおっしゃっていた。調査する、検証する、証拠で裏付ける。相手を正しく(多方向から)理解する。そうすることで、いったい何が恐怖の本質なのか、怒りの原因はなんなのかがわかる。そうして正しい理解をしていくと、だんだんそれらが恐くなくなっていき、思いやりの心で接することができるようになる、と。

自分が感じているもやもや状態を「これはいったい何?」とつきつめて考えて、あらゆる方向から検証することも大事だし、それはそれとして、全然関係ない集中できるなにかに取り組んで、頭を空っぽにするのも大切なのかもしれないな、といまの私は思っている。どちらもとても大切な要素で、どちらか一方ではうまくいかないような気もするのだ。

ダライ・ラマハートフル・メッセージダライ・ラマハートフル・メッセージ
鈴木 樹代子

ダライ・ラマ365日を生きる智慧 新装版 思いやりのある生活 (知恵の森文庫) 抱くことば ダライ・ラマ科学への旅―原子の中の宇宙 ゆるす言葉

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コメント

泳いでるとき、歩いているとき、仕事をしているときに時々小気味いい集中の感じが味わえると疲れないし、なんか出てる感じがする。まだまだ入口に立ったばかりな感じだからもっと醸成していきたい感覚だな~

わたしは2年前にダライラマの「こころの育て方」という本を新宿の紀伊国屋でなんとなく手にとってみて買って帰りました。
しばらくほっぽらかしだったのですが、読み始めたら自分の中でモヤモヤしているものを少し整理することができました。
「う~ん、そうだよなと思うことが多く、時々読み返しています。
いつかどこかでお目にかかりたいと思っています。

私はモヤモヤ、不安、イライラした時はやりたいことを整理して他は捨てることで集中しています。現代人は欲張りすぎだと自分は感じます。

昔なら一つのことしか手に入らなかったものが、今はシステムの向上で沢山手に入る時代になったので、余計に欲張ってしまうのかもしれません。でも、重要なものはたった一握りの見えない真実だと思います。

>かなめさま

うんうん、いい集中をいつも自在に自分で起こせるようになるといいよね。そういう感覚をフロー理論というそうなのだけれども、ちょっとそれについてはいろいろな本を読んで研究してみたいと思ってます。

実はわたし、ダライラマ法王のことは知っていたけれど、著書は一度も読んだことなかった。講演会に行って出張紀伊国屋書店でたくさんの著書があるんだとそこで知ったくらい。めちゃくちゃ悩んで、上にある「ハートフルメッセージ」を買いました。ご本人は「ふつーの一僧侶です」とおっしゃっていたが、やっぱり壇上に登場したときは、なんか、、、感動したよ〜。

>笛吹童子さま
(何度もコメント送信ボタン押させてしまってごめんなさい。時々エラーになるんですが、だいたい1回だけ押せば登録されてるみたいです)

整理して物を捨てることも、本気でやればすごく集中できますよね。欲張ることとか執着することが心の平安にとって本当によくないものなのだなあと思います。

現代人はものには不足していない、食べ物にも困らない、けれどたくさんの人が心を病んでいる。だから、ものでは心の問題は解決しないんです、と法王もおっしゃっていました。

私もなんだかんだで買い物好きだから煩悩のかたまりですけどね〜(笑)でも整理することは本当に大切だと思います。

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